不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

黒と白

 川端康成『名人』読了。田壮壮が『呉清源 極みの棋譜』を撮ったので、呉清源本を読んでみようと手に取ったのだが、これには呉清源はチラリとしか登場しなかった。調べてみたら、当初は文藝春秋から『呉清源棋談・名人』として出ているのだが、文庫化の際に「名人」だけになったようだ。何で外したんだろ。
 呉清源は、ある対局のコメントをもらいに行った時に登場。《耳や頭の形から貴人の相で、これほど天才という印象の明らかな人はなかった》と書かれている。そんな天才を描ききれたのか、田壮壮
 本書は本因坊秀哉名人の引退碁のドキュメント(ノンフィクション)なのだが、一応小説の形を取っているようだ。例えば語り手は川端ではなく「浦上」だとか、対戦相手は木谷七段ではなく「大竹七段」であるとか。しかし本人や呉清源はそのまま。Wikipediaによると、『呉清源棋談・名人』の後書きに、
「この小説が作中の対局を必然に虚構して、迷惑をおよぼすだろうという気持から、書きはじめた時に、故人の名人は本名のままにしたけれども、木谷七段は仮名を用い、その後これにしたがったまでである」
 とあるらしいが、イマイチ納得できない。何故、自分の名前も変えたのか。それに、名前を変えただけで後はそのままなら、ノンフィクションのようなものではないか。意図が全く見えない。
 まぁそれは置いておくとして、内容は人物を描いているので、碁がさっぱりわからん俺でも楽しめたが、やっぱり終盤の対極シーンはのめり込めなかった。きっと知っていたら、盤上をイメージできてゾクゾクするのだろう。そういう意味で、川端が描こうとした「碁」という、日常から切り離された、静かで、それでいて激しい、一つの“美”の世界を理解できなかったと言える。碁を知らんのに碁の本読むな、という事か。
 それでも、勝負師の中でも技を極めた人間の、人生の結集にして終幕は、味わい深いものがあった。

名人 (新潮文庫)

名人 (新潮文庫)