不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

2:37に


 『明日、君がいない』鑑賞。詳しく書くと激しくネタバレになってしまうので、わかりにくいかもしれないが、それを避けて感想を書く。もし、この映画を見るのなら、何の情報も入れずに(特にパンフレットは絶対に開くな!)、フラットなままで見て欲しい。そうでなければ意味がない。
 監督は、弱冠19歳の時に本作に取り組んだムラーリ・K・タルリ。カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で上映され、「カンヌを驚愕させたアンファン・テリブル(恐るべき子供)」と評された青年である。出演した役者は殆ど新人。テレサ・パルマーだけ名前を知っている。新人ながらリアリティ溢れる演技。
 冒頭で一人の生徒が自殺する。その生徒は誰なのか、理由は何なのか。
 ドキュメンタリー番組の様に、主要登場人物がインタビューを受けている。いや、独白である。誰に対してなのかはわからない。彼らはそれぞれ(やや特殊であるものの)10代が持つであろう悩みを抱えている。身体コンプレックス、親からの圧力、親の無関心、愛する人を振り向かせたいなどなど……そういった内面を残酷で辛辣に、抉るように描いている。
 モノクロの独白と、カラーの学校のある一日を舞台にし、一人の死へと向かっていく。
 短い場面が、時間軸を前後させながら繋がっていき、一人ひとりの“断片”がパズルにようにはめこまれ物語は進行していく。その手腕は見事で、まるでミステリーやサスペンス映画のようであった。実際、観客は犯人のように、「生徒」と「理由」を突き止めようとする。
「一体、誰が死んだんだ」
 その“一人の生徒”が誰で、その理由は何なのかを知った瞬間、ゾッとする。監督の手腕に。映画が炙り出した問いかけに。何より、自分自身の“眼”に。
 我々は知る。ずっと「客観的」に映画を見ていたと思っていたのだが、それは「客観的だと思い込んでいる主観」でしかなかった事を。
 知った瞬間、我々観客はあまりにも「痛い」この映画の一員となっている。
 明日、君がいないかもしれない。何故いなくなってしまったのかは永遠にわからない。それぞれの事件後の独白は、どれも生々しく重く、観客の心に突き刺さる。
 明日、君はいないかもしれない。だけど、それとは関係なく僕達は悩みや問題を抱えながら生きていかなければならない。君はいなくなっても、何も変わりはしないだろう。
 誰も心に入り込めない。僕達は「君」に対しては傍観者でしかいられないのか。
 とても哀しく淋しい、孤独に包まれる。
 二度と見ないだろう。だけど、心に残る映画だった。