不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

fair is foul, and foul is fair


 ゲキ×シネ『メタルマクベスを見に行く。ゲキシネというのは「演劇」と「映画」の融合! ……要は映画のスクリーンで演劇を見るという事。やっぱり演劇はライブじゃないとなぁ、と思っていたがいやはや、どうしてどうして。
 劇団☆新感線の2006年の作品。タイトル通り、ウィリアム・シェイクスピアの「マクベス」を題材にし、時代を2206年と未来に置き換え、1980年代に活躍したへヴィメタルバンド・メタルマクベスとそのCDとリンクさせて展開されていく。
 このぶっ飛んだ脚色をしたのは宮藤官九郎。さすがというか何と言うか。演出はいのうえひでのり。出演は内野聖陽松たか子森山未來北村有起哉橋本じゅん、高田聖子、粟根まこと上條恒彦冠徹弥など。
 新感線の舞台は普通の芝居に加え、歌、ダンス、殺陣など、ありとあらゆる演劇の要素を入れたものだ。ド派手。さらに今作では音楽がヘビメタだから、派手さは更に倍してドン、である。
 舞台の場合、たとえば手前と奥で違う場面が同時進行する事があるが、映像では一つしか捕らえられないので、カメラ切り替えが多く、落ち着かなかった。しかし、それも話が進むと気にならなくなる。クライマックスの畳み掛けが少々まどろっこしく感じたが、概ね大満足である。
 クドカンの脚色は良かった。よくこんな風に脚色できたなぁ。そして、これだけ要素を加えてもびくともしなかった、原作。いつの時代にも置き換え可能で、いつの時代でも心に残るものがある。
 松たか子の演技は好きではなかったのだが、これのマクベス夫人は良かった。新感線の“過剰”な演技部分でメーターが振り切ったからかな。狂気に走る部分も素晴らしい。初めて松たか子の演技がいいと思った。
 おそらく楽日に録画したものと見えて、全員熱演。時々カメラを意識している箇所もあり笑えた。「渾身のステージ」という表現はお世辞ではない。カーテンコールも映され、思わず拍手をしたくなった。というかしたかったけど、周りは誰もしていなかったのでしなかった。映画に対しても拍手はしてもいいと思うのだが。
 面白かった。こんなに満足できるとは思わなかった。休憩含め3時間が長く感じない。
 それにしても、このゲキ×シネというのは新感線の作品だからこそ成功したジャンルだと思う。これから新感線の作品を4本やるそうだが、その後はどうするのだろう。他の劇団の作品では成立しない気がする。
 新感線の舞台は4、5本、ビデオで見た事があるが、今回も映像とは。一度は生で見に行きたい。

 明日、明日、そして、明日と、しみったれた足取りで日々が進み、行き着く先は運命に記された最後の時だ。振り返ってみれば、昨日という昨日は、全て、愚か者たちを塵にまみれた死へと導く空しい明かり。消えろ、消えろ、つかのまの蝋燭! 人の命は歩き回る影法師、哀れな役者にすぎぬ。精一杯出番を勤めるが、それが終われば、なにも残らぬ。*1

*1:マクベス夫人の訃報を受けた後のマクベスのセリフ。この作品では使われていないが、絶望と虚無の言葉として完成されたセリフ。