不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

暴力と観衆の境界線

 途中、風邪で気分が悪くなり集中できなかったけど、簡単に感想を。


 野田秀樹作・演出『ロープ』。出演は宮沢りえ藤原竜也渡辺えり子宇梶剛士橋本じゅん。題材がプロレスという事で、レスラーのAKIRAも出ていた。宇梶さんもいい身体をしているけど、さすがに本職の身体は一回り違っていた。今回の俳優陣は、皆全てうまくて、演技の面で気を取られる事はなかった。
 『オイル』以来、3年振りの新作は、驚くほど直球だった。シンプルな構成、わかりやすい物語。いつも大風呂敷になっていく劇と違い、テーマを絞り、たった一つの事を語りたかったからだろう。

 プロレスが八百長である事に衝撃を受け引きこもったプロレスラー、ノブナガ(藤原竜也)が対戦相手に大けがをさせた試合がテレビ中継され、好視聴率を記録する。リングの下に住むという謎の女タマシイ(宮沢りえ)の実況も放送を盛り上げた。局のスタッフは、試合をさらに過激に演出して、もっと視聴率を稼ごうとする。

 プロレスは元々がファンタジーなので*1、それを題材にすると聞き、ちょっと不安だったが、見事にプロレスの本質を描いていた。そして、「暴力」とそれを取り巻く状況を不気味に浮かび上がらせている。
 ロープの内側では、どんな「暴力」も娯楽である。一方は「悪」と見なし、一方を「正義」と断定する。その論理はどんどんエスカレートしていき、戦争へと繋がっていく。ロープをテレビに置き換えればよくわかる。
 「暴力」の行使を正当化する理屈。恐怖から生まれる攻撃性の連鎖。刺激を求める観衆。メディアの視聴率への考えなしの執着。渦巻く、吐き気のする「暴力」の行き着く場所は……。
 最初に書いた通り、直球な物語には一つの真理が織り込まれている。プロレス、という誰もが(少しは)知っている“いかがわしい”ものを使っての手練手管は相変わらず見事。
 膨大な「暴力」の現場を宮沢りえ演じるタマシイが伝える。凛とした声が逆に戦争の生々しさを増長させ、戦争を伝える言葉すらも「暴力」の様に感じた。
 藤原竜也が演じたノブナガは、希望を担って去っていく。しかし、芝居は余韻を残さず幕は閉じ、感動はなく衝撃がある、重く、苦しい劇だった。
《止まれるはずだ、人類ならば》
 タマシイの叫び。直接的だからこそ、胸に重く残る一言だった。
 野田秀樹の劇作群の中でも、異彩を放つ作品であり、野田の中でも大きな位置を占めるものになったと思う。


 野田の芝居の感想を書くのは難しい。とりあえずこんなところです。相変わらず後で加筆・訂正するかもしれません。もう一回くらい見たいな。NODA MAPの公演もDVD化してくんないだろうか。高くても買うんだけどなぁ。

*1:異論はあるかもしれないけどね。