不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

休日派『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の感想日記

 スーパーへの買い出し以外は引き籠り、読書の日。

 それはともあれ、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の話である。クエンティン・タランティーノ(以下QT)の新作を見るたびにウヒョーと興奮冷めやらぬ事になって、それは『イングロリアス・バスターズ』『ジャンゴ 繋がれざる者』でピークに達したのだが、『ヘイトフル・エイト』では少し勢いが落ち着き、見た感想として《ファンとしては存分に楽しんだけれど、タランティーノの余技・余力で作られた感もあるので、ちょっと肩透かしではあったかな。もう少し風通しをよくして欲しかった》と書き残したのだが、次作である『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』──ちまたでは略称として『ワンハリ』と言われているが俺は好きではないので『OUATIH』と書く──はQTの集大成のように見えるが、実は全く違う、新しい側面であった気がするのだ、風通しをよくするどころか、作品そのものから爽やかな風を吹かせるとは思わなかったので驚き、仮にQT作品ランキングを作ればトップには決してならないけれど五本指にはずっと入りそう、そういう作品であった。これから『OUATIH』の感想を何回かにわけて、この映画のように引き伸ばして書いていこう、書いてみようと思う。

 QTの新作というだけで見に行くので、予告は特報くらいで、情報としてもメインキャストと簡単なストーリー以外知らずに見に行った、大好きなアル・パチーノが出ている事も直前まで知らなかった。だが、マーゴット・ロビーシャロン・テートを演じて、チャールズ・マンソンが出てくるのだから、おそらくはあの事件がクライマックス、あるいは核になるはずで、そこへ向けて様々な要素や伏線がまとまっていくのだろうと予測できる、そしてそれは間違いではなかった、しかし描かれているのは誰もが(正確に言うと観客が)何が起こるかわかっている一点に向かう途中の、だらしなく引き伸ばされた時間そのものであり、その時間にある過去から連なる関係、これもまた時間と言い換えられるのかもしれない、それである。Once Upon a Time in Hollywood、昔むかしハリウッドで、これがタイトルならばQTの古き良きハリウッド黄金時代への愛と現在の憐憫かと思うし、そういう面がないわけではなかったけれど、「昔むかしのハリウッド」をフィクションとして上書きをし、上書きついでにグッと違う軸へと曲げてしまって、その先がハッピーエンドなのかというとそうではない、不穏な音が聞こえたまま、不思議な映画だ。

 であるから、「事前にマンソン、せめてシャロン・テート事件については知っておいた方がいい」という映画記事をいくつか見かけたけれど、そうだなと思う一方で、しかし別に知らなくてもいいのではないか、彼らつまり劇中の人物たちとリンクして、何も知らずに見て、同じ時間を過ごすのもまた、一つの見方ではないかと思う。見た後でどういう事なのかと調べてもいい、それもまた映画の見方のはずだ。本当は追加で感想を書いて終わるつもりだったけれどまとまらなくて、こうなったらだらだらと書き続けてみようかと思い立ったので感想はいつかに続く。