不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う/だからまず僕は壊す


 本作で描かれている破壊の快楽と再生の美しさと爽やかさを見ると、デヴィッド・ボウイの「人は誰かが転落するのを見るのが大好きだ。でも転落した誰かが立ち直るのを見るのはもっと好きなはずだよね」という(出典不明の)名言を思い出した。
 これはつまり現代の寓話なのだろう。メタファーばかりだからというのもあるが、それ以上にああも破壊され尽くした自宅に寝起きする理由がないし、そもそもどうやって生活しているのだろう、彼の奇行をみんなちゃんと見えているのか……という疑問がいくつか浮かんだから。それに、エンドロールの最後にあんなふうな一言を添えられると、全部書かれた手紙だったのかなぁとすら思う。たぶんそれでいいのだろう。
 むろん、いささかわかりやすいように仕向けすぎだとか、物分かりの良い人が多すぎではとか、カレン・モレノナオミ・ワッツ)の親子の物語が浅薄とか思う部分はなくはないが、喪失後の気持ちを「喪失」という一言で表すのではなく、後悔、未練、贖罪……などのどれでもあり、どれでもない複雑な気持ちを、言葉ではなく破壊やダンスという肉体の行動によって外に表す。破壊なくして再生なし、再生なくして次はなし、をこういう形で描けるものかと脱帽した。
 ナオミ・ワッツは単に美人をキープしているだけではない、いい歳の取り方をしている。その他俳優陣も好演。音楽の使い方もナイス。何より、顔をあまり動かさないのにちゃんと演じているジェイク・ギレンホールの、動と静の演技がよかった。
 邦題は主人公の車のサンバイザーの裏に妻が隠していたメモの言葉で、鑑賞時はよく見えず、あとで調べたところによると、「If it's rainy, You won't see me, If it's sunny, You'll Think of me.」と書かれていた。てっきり、主人公が亡くなった人への想いをつづった言葉なのかと思っていたが、実際は「雨の日だと私を見ることもないけど、晴れだったら(サンバイザーを使うからこのメモを見つけることで)私を思う事があるよね」という妻からの皮肉なメッセージで、それは雨の日も晴れの日も生きている時は彼女を思わずに、亡くなってからも彼女をなくした自分だけを思っていたデイヴィス(ギレンホール)へ、初めて彼女(とその前に登場した忘れられていた他者)を想う瞬間を撃ち込み、それはデイヴィスが後悔と未練を抱える一撃に他ならず、そこでようやく彼の心も砕けて決壊し、再生が始まる事になったのだろう。
 見終えた後で、そういえば母が亡くなってから一ヵ月くらい、姉とやたら食べ歩きをした事があったっけな――なんて事を思い出した。