不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

歪んでいても「正当性」

 アルマジロ』(監督・脚本/ヤヌス・メッツ

 危うく、グロテスクとさえ言える作品。確かにドキュメンタリー作品であり、カメラの前に映っているのは現実なのだろうが、所々であれ?と思うようなシーンがある。たとえばラスト付近にある一兵士の自宅と思しき場所でのシャワーシーンなんぞは、戦争映画のワンシーンにしか見えなかったし、カメラと兵士の距離があまりに近いと思う部分がいくつかあった。
 だが、仮に演出が多分に入っているとしたら、それはそれで不可思議だ。戦争犯罪ギリギリの行為を臆面もなくさらけ出したり、若い兵士たちの「貴重な体験をしたい」というシナリオだとしたら甘過ぎる志願理由だったりと、カメラの内側にどこまで踏み込み、立ち入ったのかが見えにくい。デンマーク政府(軍部)が、一体どういうつもりでこの映画を撮らせたのだろうか。内部をオープンにする事を戦争への言い訳にしているのか、それとも軍の仕事を知ってもらおうと思ったのか、そうだとしたら無邪気すぎる。これが戦争/兵士の一側面なのは確かなのだが「この映画は何なのだろう」という不可解な気分になってしまった。
 「貴重な体験を」と言っていた兵士は任期満了後に帰国したが、その後再びアフガニスタンへと戻って行った。その後日談は言うまでもなく『ハート・ロッカー』の結末と同じ事から、戦争における狂気というものを表現していると見る向きは多かろうと思うが、俺は前述したように、この映画で問われているのは「正当性」だと思う。兵役の志願理由、国際平和活動の意義、現地での彼らの暇つぶし、軍事行動、兵士が戻って行った理由、カメラが入った意味、この映画の存在――そういった数々の「正当性」を問うた作品なのだろう、と。だから薄気味悪さを感じながら、彼らの姿を見てしまうのだ。自分自身と、そして自国の正当性を問いながら。