不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

全てがわかるのなら俺を撃て

 実はX-MENシリーズの映画は劇場で見た事がなく、ウルヴァリンの髪型やら、名優イアン・マッケランがあのヘンテコヘルメットをかぶっている姿やらが滑稽で、いつも何やら半笑いな気分になってしまう。今回はマグニートー以前だしとか思っていたらヘルメットがキーになっちゃったりして、やっぱりそこは半笑いで、しかも意外やケビン・ベーコンが似合っちゃったりするからさらに半笑い。
 まぁキャラ造形は仕方ないので、それはともかくとして。
 X-MEN:ファースト・ジェネレーション』を見た。監督・脚本、マシュー・ヴォーン。出演、ジェームズ・マカヴォイマイケル・ファスベンダージェイソン・フレミングケヴィン・ベーコン

 大河ドラマの原点なのだから様々なオリジンが投げ込まれており、X-MENというコミックシリーズの主題であり命題の「差別」、そして「共存への道」と「支配への道」への分水嶺を、高い純度で作り上げる事にも成功している。とはいえ、個々の物語が多いために映画はやや散漫な印象を受けた。視点をマクロにするか、ミクロにするかは難しい判断で、かろうじてそのギリギリのラインを沿ってどちらも両立させてはいるけれども。
 世界や物語をしっかり描いているために、アクション部分はちと物足りなさを感じ、やはりCG相手だと趣向を凝らした『キック・アス』と較べれば演出のキレは格段に落ちると言わざるを得ない。これは原作に従ったのだろうけど能力もずいぶん大雑把な設定ばかりで、『ジョジョの奇妙な冒険』などの条件付き能力バトルで鍛えられたものとしては、そのいささか雑な戦いっぷりに閉口してしまった。
 もちろん大作だからこそ真正面から向かうしかなく、その結果マシュー・ボーンの語り口の豊かさがはっきりと証明されたとも言えるわけだが、たとえアクションをカットしたとしてもチャールズとエリックの関係も相当な薄味になってしまっていて、もう少し掘り下げられたらよかったのにと残念に思う。対話や心を読むなどではなくて、その表情や視線、言葉に隠された意味から友情を深めていくように演出できれば、この映画は一段上に行ったのにな、と。まぁ言うは易く行うは難し、なのだが。
 俳優陣で特筆すべきはやはりミヒャエル・ファスベンダーであろう。奥底で燃える復讐心が色気と野蛮な雰囲気となってこちらまで香ってきそうで、まだ堅さはあるものの、これは女性陣がくらくらしてしまうのも無理はない。
 本作の見どころは言うまでもなく、「プロフェッサーX」チャールズ・エグゼビア(ジェームズ・マカヴォイ)と、「マグニートー」エリック・レーンシャー(ファスベンダー)の出会い、反発、理解、そして決別という友情物語である。
 いずれ相反する道を歩む事をお互い薄々感じながらも求め合い、求め合えば合うほど別れが決定的になっていく。「俺を撃て」「親友は撃てない」、その弾丸は信頼なのか赦しなのか。
 彼らの友情の歪やゆらめきは紛れもなく人間社会全体の揺らぎであり、冷戦時代を背景に「キューバ危機」をクライマックスに据え、既存の世界の対立構造の中に異分子を投げ込む事で現実世界の共存や支配といった恒久的なテーマにリンクさせている。映画としては明確な悪であるセバンチャン・ショウ(ベーコン)が存在するので一応の決着はつくわけだが、序章が終わっただけだ。
 次章には大いなる混乱と戦闘が混濁した世界が待っている。理想に燃え、友情を敵意と思いこみながら向かってくる親友がいる。次は、撃てるのかな。