不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

今日も東京は夢の中

 デイヴィッド・ミッチェル『ナンバー9ドリーム』読了。ジョン・レノンのソロ曲と同名の小説。
 長い、濃い、厚い、重い*1! ようやく読み終えた。グングンと読み進むが、ただ長いだけではなく、濃いというのが凄い。こちらの速度以上に存在する「言葉」と「物語」。思いつく限りの「物語」を書き、まるでオモチャ箱をひっくり返したような小説だった。
 舞台は日本、主人公は日本人。しかし書いたのはイギリス人。さらにそれを日本語に訳す。何とまぁアクロバットな状況だろう。しかし、そのアクロバットな状況が、これだけ似合う小説も珍しい。その状況を含めての、本書なのだ。
 外国人が東京を描く時、どんなに親日家でも、書かれた「日本」には違和感がある。タランティーノも『KILL BILL』でメチャクチャな日本を描いていた。ま、タランティーノの場合はわざと(あるいは“本気”で)描いた可能性もあるが。
 しかし、本書は「不思議な国・ニッポン」ではなく、キッチリとした2000年代の「日本」だった。クラブも、上野駅も、レンタルビデオも、女子高生も、北千住も、全て俺達の「日本」。よくぞ書けた、そしてよくぞ訳したな。高吉一郎氏による訳がうまくて、もともと日本語で書かれたようだった。素晴らしい。
 屋久島(外部)から東京(内部)に出てきた青年・三宅詠爾「俺」の物語を、日本の外部にいるイギリス人作家が描く。“外部”から“内部”への物語が縦軸。横軸は、青年の父親探しという、個人的で“内部”の物語。
 その縦・横軸が重なり合い、ぐるぐると周り、円を描く。さならがプロペラの如く高速回転をし続け、円は拡大していく。その円は、世界中に繋がっていて、国境なく波紋は広がり、その様は悪夢であり混乱であり、混沌だ。ごちゃごちゃのまま、突き進んでいく。
「俺」は父親に会いたいだけ。ただそれだけなのに、何故、訳のわからん“謎”が次々と出てくるのか。巨大組織、次世代ゲーム、妄想小説、秘密クラブ、奇妙な人間、暴力軍団、権力闘争、軍人の日記……列挙するともっと意味不明。
 何が現実で何が虚なのか。
 愛しいあの娘の言葉だけが、自分を現実に繋いでくれる、気がする。
《So long ago
 Was it in a dream, was it just a dream?
 I know, yes I know
 Seemed so very real, it seemed so real to me》
《Dream, dream away
 Magic in the air, was magic in the air?
 I believe, yes I believe
 More I cannot say, what more can I say?》(“#9 Dream”)
 ジョン・レノンは「俺」の夢の中で、「俺」に言った。
「『ナンバー9ドリーム』に出てくる『あんなにへんてこな踊りをしている二頭の妖精』*2っていうのは聴く者に調和の祝福を授けるんだ。けど、みんな、調和ではなくて孤独を選ぶんだ」
「俺」は聞いた。
「『ナンバー9ドリーム』っていう題名はどういう意味なんですか?」
 ジョンは答えた。
「九番目の夢の意味はあらゆる意味が死に絶え消滅した後に始まる」
 東京自体が大きな夢、狂った夢だ。9番目の夢にたどり着いた先、何が始まるというんだろう。
 高橋源一郎はこう書いている。

 日本(「ニッポン」かも)は、世界でいちばん深い夢の病に囚われている。作者(「俺」かも)はそう言う。でも、このことは、この国の作家が、もっと早く、書くべきだったのだ。やられた……。

 傑作だとは思わない。だけど、これが世界基準となるやもしれない。読み終わった後は脱力。

ナンバー9ドリーム (新潮クレスト・ブックス)

ナンバー9ドリーム (新潮クレスト・ブックス)

*1:物質的に

*2:Two spirits dancing so strange