不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

死の直前の生


 パラダイス・ナウを見る。監督・脚本はハニ・アブ・アサド。
 イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区ナブルス。自動車修理工として働く幼馴染のサイードとハーレドは、自動車修理工として働いているものの、占領という事実の中で未来も希望もない毎日を過ごしていた。そんなある日、自爆志願者をつのるパレスチナ人組織の交渉代表者ジャマルにテルアビブでの「自爆攻撃」を任ぜられる。ところが目的地に向かう途中でアクシデントが起こり、自分では外せない爆弾を身につけたまま二人は離れ離れになってしまう。
 時間は90分と短めながら、丁寧に、そして真摯に作り込まれており、長く濃く感じた。
 アメリカではアカデミー賞ノミネート時に反対運動が起きたそうだ。「自爆テロ」の話だから、拒否反応を起こしたのだろうか。映画をちゃんと見れば礼賛なんかしていない。正当化せず、しかし拒絶もせず、“説明”しているようだ。だから見ている者は考え迷う。
「この方法(自爆テロ)で世界は変わる」
 自爆テロという方法は、絶対に間違っている。だが、それを選択してしまった若者の思いまで否定できない。“それ”しか方法がないんだ、という思い込み。“それ”で世界が変わるんだという思い込み。そして、それ以上に大きい、自己破壊的な内なる衝動。若者が走っていくのを止められる事は、できない。
 しかし、それでもこの映画はこう叫んでいる。
「他に道はある!」
 テロの話なのに、映画には血も弾丸も爆発も一切出てこない。描かれているのは穏やかな日常であり、そこに潜む暗さだ。加えてこの映画の場合、舞台がイスラエル占領下というとても複雑な背景のある人間達。先に書いたように、俺にはテロを美化した映画には見えなかったが、もしかしたら当事者には違って見えるのかもしれない。俺は全然パレスチナが抱え込んでいる問題がわかっていないのかもしれない。
 この映画がストーリーの時間通りに撮られたかどうかはわからない。だけど、冒頭と終わりの主人公二人の顔が全く違う。一人の顔が段々晴れやかになるのに対し、もう一人はドンドン“黒く”なっていき、一点だけを見つめている。たった2日で、「死」は、ここまで人間を“成長”させるのか。
 勿論、これがフィクションであり、彼らは本当に死ぬわけではないから、俺が見た“成長”は思い込みかもしれない。だけど、この映画はフィクションとドキュメントの曖昧な境目にある。絶対に「嘘」なのだが、「嘘」だからこその「リアル」が潜んでいる。
 凄い映画ではないが、「映画って凄い」と思う。
 ラスト、画面が真っ白になり暗転、音が一切ないエンドロールへと繋がっていく。真っ黒な背景に白くキャストの名前が浮かび上がっては消えていく。
 沈黙の中に、若者達の叫びが聞こえた気がした。