不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

ここに「無思想」あり

 養老孟司『無思想の発見』読了。ここ数日、「思想」と「言葉」について考えてきたけど、この一冊に俺の言いたい事がつまっていた。本を書く人って凄いなぁ……。
 「思想」が「ない」時代だとか、日本人は「言葉」が「通り過ぎていく」と俺は書いてきたけど、養老さんはそもそも日本人には「思想なんてない」と書いている。もっと言うと「思想なんてないという思想」なのだ。
 たとえば日本が明治維新や敗戦により思想が転換したが、それは日本が「やむをえない」と思い、思想を「取り替えた」のだ。「やむをえない」とは「現実が思想を圧倒した」という時に使われる言葉。日本人のような借り物、あるいは手軽な思想は、しばしば現実に前に圧倒されてしまう。それでも構わない。何故なら、そもそも「思想なんかない」からだ。そしてそれこそが「日本の思想」だった。
 ううむ、この続きを書きたいが、改めて自分で書くとわけがわからなくなってしまった。もう少し自分の中に入れてからアウトプットします。

無思想の発見 (ちくま新書)

無思想の発見 (ちくま新書)