不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

映画で終わらすな


 それでもボクはやってないを見る。周防正行11年振りの作品は、痴漢冤罪事件を題材にした剛速球の社会派作品。純愛だのホラーだのばかりの日本映画界に、ようやく出てきた本格社会派作品。それが11年振りの監督の作品、というのはちょっと複雑な気分だ。
 “正義”に対して、ある種の幻想を抱いている人は結構いると思う。それはハリウッドだけではなく、様々な「物語」が語ってきた事だからだ。だけど、本当にその“正義”は本当に“正義”なんだろうか。いや、そもそも“正義”とは?
 内容はシリアスそのもので、音楽もなく濃密に続いていくが、2時30分が短く感じる。重苦しいとはいえ、エンターテインメントとして成り立っていてコミカルな場面も多々ある。ただ、今までの周防作品に比べると、エンターテインメントよりも社会派の要素が強く出ている。本人も《“撮れる”とか“撮りたい”じゃなくて、“撮らないわけにはいかない”という使命感があった》と語っている。
 監督が3年近く取材をし、11回書き直したという脚本は見事。「リアル」とはこういう事を言う。今まで周防監督は「我々が住んでいる日常の、すぐ隣にあるけど知らない世界」を題材にしてきた。「修行僧」なり、「相撲」なり、「ダンス」なり。それが今作では「裁判」だった。ただし、今回は自分が最後までその世界にいる事を望んでいなかった事。
 見ていて、「ここまでひどいのか」と胸が詰まった。無罪・有罪、希望・絶望……一つの痴漢事件が、これほどスリリングで苦しい事件になるとは思わなかった。最悪の世界を描いた最悪の話は、このままフィクションとして終わらない。映画館を一歩出たこの現実世界で、我が身があの世界にいる事になる可能性は、極めて高いのだ。そして、自分を守るための戦いは、勝てる見込みは全くない。何て事だろう。
 戦いは、一体どこへ行こうとしているのか。何の為に? いつ終わる? そもそも何で俺が此処にいるんだ? 裁判って何だ? 正義って何だ? 真実って何だ? 罪って何だ? ……一つ一つの疑問は決して解決せず大きくなるばかり。それでもなお主人公、いや俺達は「真実が明らかになり」「自分は解放される」と信じている。しかし、その思いは大きな絶望・失望となってしまう。
 何もかも信じられない。
 真っ白の頭で、真っ暗闇を歩いている。いつの間にか彷徨いこんだ森は、出口がない。
 それでも、「それでも」、「ボクは」、「やってない」。
 事実は人の数だけある。真実は一つだけ。だけど、真実はいつも見えない。
《十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰してはならない》
 「疑わしきは罰せず」ではなく「疑わしきは罰しておいて」という日本の法律制度。それが自分自身だったら? 冒頭の一文が心に重く圧し掛かる。
 これで映画は映画として終わってしまい、現実がこのままなんて哀し過ぎる。
 日本国民必見映画。絶対見ろ。