不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

猫はただニャーと鳴くだけだった


 イカとクジラを見に行く。主演はジェフ・ダニエルズローラ・リニー、ジェス・アイゼンバーグ、オーウェン・クライン。監督はノア・バウムバック。
 この不思議なタイトルは、内容と関係ないわけでもなく、何かの比喩になっているわけでもない。そのまま「イカ」と「クジラ」なのだから面白い。
(ネタバレあります)
 舞台は1986年のニューヨーク。父、母共に作家の両親を持つ兄弟が住んでいた。ある時、父と母は離婚を決意する。父は家を出て近所に引っ越すのだが、子供達はその二つの親の家を行ったり来たりする事になる。
 そんな変な状況の中で、兄が放った「僕達は行き来するとして……猫は?」というセリフが、現実離れをしていながら、妙にリアルで笑えた。両親も本気で悩むし。ちなみに、この話は監督の体験が基になっている自伝的映画らしい。監督の場合は両親が映画評論家だったそうだ。
 父・バーナードは、かつては脚光を浴びたものの、今はスランプに陥っている。「本と映画に興味のない人間は俗物だ」と言い切るような男だ。
 一方、母・ジョーンは新人作家として『ニューヨーカー』に作品が掲載されるなど、脚光を浴びつつある。しかし、浮気性で恋愛を繰り返している。
 兄・ウォルトは思春期ならではの恋の問題や性的衝動に悩まされ、弟・フランクも性的衝動をどう解消すればいいのかわからずとんでもない行動を起こしてしまう。
 みんな問題だらけだ。
 ユーモアを交えながら(ちょっとブラック)「家族」とは何なのかを、一つの滑稽な家族を描く事によって表現している。実は真の俗物だった父、相変わらず恋愛をし続ける母、何もかもがうまくいかない兄、戸惑う弟。皆、何かしらの問題を抱え、何とかしたいと思うんだけどうまく行かず、思わぬ方向に事態は進展していく。哀しみに明け暮れる事も、考える事も、行動する事もなく。
 そんな中から、一緒に家を行き来していた猫はスルッと逃げ出す。まるで、「俺は関係ないよ」と言わんばかりに。あの猫はどこへ行ってしまったんだろう。
 「イカ」と「クジラ」はウォルトのトラウマだ。彼は小さかった頃、ニューヨークの自然博物館で格闘する「イカ」と「クジラ」が怖くて泣き出してしまった。それは、その姿が両親の姿とダブったからだろう。それを認識した時、ウォルトは初めて一人の人間として、自分の家族を見つめる事ができるのだ。
 そこで映画は終わる。唐突だ。この後、あの家族はどうなっていくのか。修復するのか。再生するのか。破壊するのか。どこにでもある家族、とは言えない。しかし、何故かシンパシーを感じる。本当の物語はいつも映画が終わった後に始まる。この家族が、どういう形であれ幸せになってくれる事を、心より願った。
 ウォルトは学園祭でギターの弾き語りをする。自作の曲と言っていたが、実はピンク・フロイドの“Hey you”という曲だった。
《Hey you, would you help me to carry the stone?
 Open your heart, I'm coming home.
 But it was only fantasy.
 The wall was too high,as you can see》
(ねえ、君、僕が石を運ぶのを手伝ってくれるのかい?
 心の中に何があるか話してよ、家に帰る予定だからさ
 でも、それって幻想だったね
 君も知っているように、あんまりにも壁が高すぎたからさ)


《Hey you,don't tell me there's no hope at all
 Together we stand, divided we fall》
(ねえ、君、もう何の望みもないなんて言わないでおくれ
 一緒にいれば頑張れるけど、分かれてしまったらおしまいだよ)