不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

言葉の弾丸


 3時10分、決断のときを見た。監督、ジェームズ・マンゴールド。出演、ラッセル・クロウクリスチャン・ベイルピーター・フォンダグレッチェン・モルベン・フォスター
 いきなり他の映画の話で恐縮だが、ご存じのように『ロッキー』はアメリカンドリームの物語である。そのアメリカンドリームとは何かというと、金や名声や栄光を得る事ではない。ちんけなボクサー、ロッキーがチャンスを得て、圧倒的に強いチャンピオンと戦う。
「15ラウンド戦い抜いて、その時ボロボロでもいいから、まだ自分の足でリングに立っていたら、俺はただのチンピラじゃ、くそ野郎じゃ、負け犬じゃないんだ」
 勝つ事ではない。生涯一回訪れるかどうかのチャンスは、自分が自分である事の証明のチャンスなのである。
 本作の主人公ダンは、南北戦争で負傷した足を抱え、大地主に嫌がらせをされ、借金を背負い、息子から軽蔑のまなざしを向けられている、うだつのあがらない男だ。
 そんな彼の目の前に大悪党ベン・ウェイドを護送する仕事が転がっている。ダンは飛びついた。金のため、何より己のために。
 「3時10分発のユマ行きの列車にベンを乗せる」、それだけのストーリーだ。時間軸は現在進行、刻一刻と時は過ぎていくだけ。それぞれの登場人物が、ベンを中心に、思いを秘めながら行動する。そしてその行動には全くブレがない。
 まず脇役がいい。特にナンバーツーのチャーリー演じるベン・フォスターの冷徹っぷり。ボスに忠誠を誓っているが故の行動と、その器の違いが見えてくる。そのほかも、全員いい味を出しており、その人物のクライマックスには輝いていた。脇役がいいと映画が締まる。
 しかし、とにもかくにも、ラッセル・クロウ演じるベンがカッコイイ。惚れ惚れする悪党だ。凶暴さと知的さを兼ね備え、無軌道な暴力を行うかと思いきや、一本筋が通っている。常に確信的で、自信に充ち溢れている。おもしろいのは、悪党団のボスであり、生粋の悪党のはずなのに、どこか一匹狼の空気を醸し出している事だ。
 一方、クリスチャン・ベイル演じるダンもいい。負け犬でありながら、たった一つのものを支えに瞳の奥の狂気の光を絶やさない。「3年間、神に祈ってきた」……そして、今日を迎えた。
 銃撃戦と同じくらい多いのは、言葉の撃ち合いだ。ベンはしきりに敵に言葉を撃つ。そして、ある者は「しゃべるな」と言い、ある者は「聞くな」と言う。しかし、護送のために四六時中一緒にいるのだから会話になる。
 日常の会話、それも戦場なのだ。
 ある者は、ある言葉でベンを撃ち、激昂させる。またある者は不快にさせる。どちらもその言葉はベンに撃ったはずが、自分自身の致命傷だった。不用意に言葉を撃っては命取りとなる。
 ダンはほとんど語らない。日常会話以外の言葉を発しない。それはむろん、話したくないからなのだが、そのためベンが一方的に言葉を撃つようになる。負け犬ダンは心揺れているように見える。危うい。いつか、クラッと行く。誰もがそう思うような揺れ方だ。見ている側ですら、ベンの言葉に撃たれ「それでいいじゃん」と思ってしまうほどだ。
 クライマックス。ベンに向けて発したダンの言葉。撃たれてしまったベン。いつの間にか起きた逆転現象。ホテルから、護送列車の来る駅まで80メートル、決死の疾走。二人にあるのは敬意と友情が入り混じる、複雑な思いだった。
 辿り着いた列車。言葉と弾丸の銃撃戦。ダンは、自分が誇れる自分である事を証明できたか。
 最後のベンの行動に、またグッと来る。事にケジメをつけ、男に華を持たせ、「誇り」のために列車に乗る。そのダンディズムと、「絶対に脱獄する」という自信の裏返しは、ぞくぞくするほど色気漂う姿だった。
 はたして、彼の「決断のとき」はいつなのだろうか。言葉に撃たれた瞬間か、それともまだ来ないのか。
 と、ダンディムズ溢れる映画で、男くっさい。女性はほとんど出てこない。だが、たとえば劇中で男に「メキシコに一緒に行こう」と誘われたのに対し、女が「からかわないで」と一笑に付したのを見ると、あれが女の強さとたくましさなのかも、と思った。とかく、男は弱くて複雑で面倒くさい。女のたった一つの言葉にも勝てないのかもしれない。