不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

七月五日、ジークアクス、メガロポリス、花

 午前中、放送終了後にNetflixでちまちま見ていた『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』を最後まで見る。皆さん(誰だよ)があまりに騒ぐので逆に冷静になって見れて、思いのほか楽しめたけれど総括すると『beginning』と同じく「勿体無い」が正直な感想である。とにかく描写不足というか尺(話数、時間)が足りなすぎる。テレビ放送は後から決まったと聞くから最初から話数が制限されていたわけではないと思うが尺をもぎれなかったのならその責任があるし、限られた時間できちんと描けなかったのならその責任がある、制作サイドの事情は知った事ではなく、「こうなんだから仕方ない」などと甘やかす気持ちにはなれない。

 描写不足でも理解できるけれど、これではカタルシスは生まれない。年末の大河ドラマの総集編ははしょられていても理解できるし、それなりに楽しめるけれど感動はしないしカタルシスも生まない、それと一緒。仮に生んでいたと思う人がいてもそれは自分たちの脳内補完(解釈、考察)によるものであって、作品そのものではない。そうでなくとも、脚本も演出も細部はあまりに甘くて荒くて雑だから、そこで興醒めする人がいたのもわかる。私も配信で続けて見たから最後まで辿り着けたけど、放送で一週間おきに見ていたら途中で投げていたかもしれん。

 このストレートなボーイ・ミーツ・ガールものは庵野秀明には描けない鶴巻和哉監督によるもので私は好き。もっと若者の無軌道さと未来への駆けっぷりがほしかったが。マチュを不殺だなんだと言うけど、あんだけ間接的(ほぼ直接)に人の死に絡んでそんな無邪気な事は言えないような。あと、ポメラニアンズはOP映像ではかっこよく出ていたけれど、中途半端な扱いで終わってしまって惜しい。『ナディア』のグランディス一味みたいな味方になるアウトロー集団として活躍して欲しかった。再度書くが、とにかく「勿体無い」としか言いようのない作品であった。

 カミさんと感想戦をしながら外出。いつもは行列ができるラーメン屋がたまたまスルッと入れたのでそこで油そば。新しくできたカフェに行ったら十五組待ちだと言われて離脱し、隣駅まで散歩。ボーナスが出たので靴を二足買ってからカフェで一休み。映画館へ行き、酷評喧しいメガロポリスをようやく見る。

 巨匠フランシス・フォード・コッポラの四十年かけたという畢生の大作は、どこを直しても成功にはならなさそうなので失敗作ではない、ある意味の完成作としての駄作。コッポラの壮大な妄想絵巻にして、最初から最後まで「あんた何言うてんねん」しかない。アダム・ドライバーに甘えないでください(さすがに手が増えたり、分身した時は爆笑した)。だがしかし、コッポラはマジなのである、真剣と書いてマジである。だから本作はマジなのである。マジの作品で、こうなのだ。認めるしかない、コッポラはこれを撮りたかったのだ、仕方ない。これはこれで「コッポラを甘やかしている」と言われそうで、その面はないとは言えないが、しかし自らの財産まで注ぎ込んで映画監督として最後になるやもしれぬ作品でこんなものを作る事は、いろいろな意味で認めざるを得ないではないか。

 コロナ前以来の塚田牧場で夕飯をとり、花を買って帰宅。我が家で唯一花を飾る日こと母の命日だ。今日は地震やら津波が起こるやらという予知夢の日らしく、他人の「こういう夢を見た」という話で何故ここまで大騒ぎするのかよくわからなかったし(災害には常に備えろ)、リアリストの母もきっと鼻で笑っただろう。


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