少し前に、Netflixのドキュメンタリーシリーズ『アンディ・ウォーホル・ダイアリーズ』を見た。ウォーホルが前日の出来事を電話で記録係に話して記したという『ウォーホル日記』をベースにして、アンディ・ウォーホルの生涯を辿った作品。私はウォーホルが好きなので存分に楽しんだけれど、資料映像や作品が豊富とはいえワンエピソードがあまりに長い、半分に削ってくれ。中盤からは自身がゲイである事とその時のパートナーの話に何もかもを収斂しすぎているきらいがあり、少々退屈にすら思えた。バスキアとのあれこれはよかったけれど。
本作で特筆すべきはナレーションとなる日記を、ウォーホルの声をAIによって再現して朗読させている事である。本人ではない本人の声が本人を語っている。故人の声あるいは姿かたちを再現するAI技術が発展しているとは聞いていたが、実際に長い作品の中で聞くと少し驚く。本人が抑揚のない喋り方だったし、あくまで日記を読む体裁だから、淡々とした喋りが気にならなかっただけかもしれないけど。
たとえば『マイルス・デイヴィス クールの誕生』は俳優のカール・ランブリーがナレーション=マイルスのあの特徴的なしゃがれ声を”演じて”いた。『私はあなたのニグロではない』ではサミュエル・L ・ジャクソンがジェームズ・ボールドウィンの原稿やメモ、手紙を読む形のナレーションで、劇中には実際のボールドウィンが喋るシーンも出てきてサミュエルとは似ていないんだけど、それはボールドウィンの内なる声と外への声との違いのように聞こえていたのでよかった。
さて、本作はどうか。作品におけるAI使用についても様々な論点で議論は喧しく、個人的にもこういう形での故人の再生は道義的・倫理的観点からいいのかなぁと考えてしまうところだけれど、今作に関しては対象があのウォーホルであって、彼なら喜んで許可しそうだなとも思う。何せ複製の芸術の人なのだから。本人がこのドキュメンタリー作品をどう思うのかまではわからない。