不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

ジェイン・ハーパー『渇きと偽り』/流れた水はもどらない

 映画を見た後で原作小説を読んで、真犯人はわかっているからおもしろさ半減かと思いきや、そこへの布石がそこはかと置かれている事がわかって、これはまた違った読み方になっておもしろかった。もちろん原作小説の方が細かく風景も感情も描写されているのだが基本的には変わりがない。ただ一つ、結構大きな違いがあって、いまからそれについて書くので知りたくない人は回れ右をしてください。いわゆるネタバレではないのだが、気にする人はいそうなので。

 本作の過去パートにおいて重要なのは亡くなったエリーが持っていた紙切れである。先に見た映画では主人公アーロン・フォークがエリーに「川で会おう」と書いて渡したもの。それを持っていたからこそフォークが彼女を呼び出してトラブルになり殺害したのだと疑われ、その結果街を出る事になるのだが、原作小説ではその紙切れはエリーが書いたものなのだ。紙に日付と「フォーク」と書いてあった事で彼が疑われる。つまり、キーアイテムの質が全然違うのだ。

 フォークが街の人たちから犯人だと疑われる構造にするのならフォークが書いた方が説得力はある。だが、具体的にエリーが何を思ってそれを書いたのかは伏せるが、エリーという存在を際立たせるのであれば彼女が書いた方が断然いい、悲哀さが違う。映画化に際し、原作のハーパーが脚本に絡んだのかどうかは知らないが、ここを変えようという決断はなかなかのものであったろう。続けて読んでみて違いがよくわかって、おもしろい感想を持てた。せっかくなのでと言うのも変だが、この勢いで続編の『潤みと翳り』も読み出した(こちらも映画化が決定しているらしい)、忙しくて疲れているので遅々と進まないのだが。