不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

五月一九日、光の国から

 よろよろ起きる。今日は休みだが明日からまた仕事なので、いましかないなと映画のチケットを予約する。昼飯を喰って、アイスを舐めながらぶらぶらと映画館へ向かう。平日昼間だというのにそこそこの客の入り具合は話題作の証拠か、それでも100億の大台は難しいと思うけれど。そういったわけで『シン・ウルトラマンを見る。Twitterで単語をミュートなどにしていないのでそれなりに評判などを目にしてしまっており、ノイズありからの鑑賞だったが、やっぱり他人の評価と自分の評価は違うものだなと実感する。考察やらネタバレやら言われているが、小ネタ満載ではあるけれどそういった作品なのかとちょっと不思議、過敏になりすぎでは。

 「『シン・ゴジラ』みたいにウルトラマンを描く」樋口真嗣ディレクションと「俺のウルトラマン解釈と愛」という庵野秀明の脚本でできており、さすがに全39話のウルトラマンのテーマを二時間にまとめてしまうとかなり説教くさくなってしまったが、それでも結構楽しんだ。と同時に監督、脚本、制作会社、全ての手間・暇・金・練りが足りなくて日本映画界の限界も見えてしまった。「ドラマパートはいいけどアクションパートは駄目」という評の多い映像面は私は逆の印象で、確かにいささか安っぽくはあったけどアクションは健闘していた一方、ドラマはその撮り方や構図に本当に監督の考えや美学があってのものなのかと疑問。また編集は庵野であっても、撮影時にいないのだから逆にテンポがギクシャクしていたように見えた。ここまでやるなら監督やればいいだろう、作品よりも製作として歪。いろいろ事情があったのはわかるが、そんな事は知った事ではない。売り切れで買えなかったデザインワークスのインタビューでいろいろ言っているそうだが、確認せずに言うのもなんだが、泣き言を言わないでほしい、観客に甘えるなよ。

 人間(ドラマ)が描けない庵野の脚本(人間に興味ないから)はどうなのかと思ったが、人間そのものでなく人間を俯瞰する存在たちの物語なのでそこそこうまくいっていた、人間に興味ない事が明白だったが。「マルチバース」言うてたけど、この「シン・ウルトラ」シリーズを続けていくのなら監督を変えて、庵野も極力タッチしないで、ガラッと違う作風にしてほしい。この手のはもういいよ、何本もいらない。騒がれているセクハラ云々は個人的には全然感じなくてノイズにはならなかったが、それよりも浅見弘子が『働きマン』の松方弘子そのまんまで、それはええんやろか。あとはまぁ何はともあれメフィラスですよね。あれはずるい。異物感をわざと出したのか、山本耕史が出しちゃったのか。今までどこで何やってたのかを知りたい、映像化してくれ。最後に、私の大好きなゼットンの描き方は大不満。

 焼き鳥屋で少し摘んでから帰宅、NHK +で「鎌倉殿の13人」を見る。