不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

二月五日、賢太

 カミさんは自転車で動物病院へ行き、その間に私は図書館を往復。昨年とは打って変わった読書熱、とはいえ、勢いづくとすぐに萎むから気合を入れずに、赴くがままに読む。カミさんが戻ってきて一休みしたら、再び外出。モスバーガーで昼を喰って、本屋など寄りながら映画館へ向かう。見たのは『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』。正式タイトルは長い。

 雑誌を映画にしようというアイデアもすごいが、実現するのもすごい。記事のイメージだからとよりフィクショナルな書き割り的な表現にする事で、自身の美学を詰め込めるだけ詰め込んでおり、ちょっと胸焼け。小話集でどうという事のない話ばかりだがそれが雑誌っぽいし、何よりエンドロールの表紙の羅列がすばらしい。イラストやデザインはもちろんのこと、何を表紙にしているかで編集長の哲学、美学、そして人生もうっすら見えてくる。このエンドロールのための本編。

 西村賢太逝去の一報に驚く。54歳、日記に書かれている食生活は身体悪くするぞというものではあったが、早すぎる。一月末には藤澤清造の墓に行き、三日くらい前に石原慎太郎の追悼文を書いていたばかりだ。あの世で慎太郎に「おまえ、なんだ、早いな」と言われそうだ。そして坪内祐三と「早いよ、賢太」「坪内さんこそ」なんて会話をして、酒を酌み交わすのだろう。破滅型とか無頼派とか言われているが、生き方も小説との向き合い方も地味で、真面目で、誠実だったと思う。私はどちらかといえば日記や随筆の方をよく読んでいたが、小説も楽しみにしていた。以前、《作家として広く認められ、最早惨めな持ち込みするまでもなく、当然のように原稿依頼が舞い込んでくる身になりたかった。/小説書きとして、終わりたかった》と西村賢太は書いていたが、まさにそういう身になり、小説家として彼は終わった、それは幸せだったのかもしれない。それでも、残念だ。

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