不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

四方田犬彦『ラブレーの子供たち』/食べ物は思い出

 『詩の約束』を読んだ流れで四方田犬彦本を何冊か読んでいる、その一冊。世界中の芸術家が遺したレシピ、言及した料理を、その背景を説明しながら再現するという、なかなか大胆な連載をまとめたもの。食材は当然ながら撮影にも力を入れていて、『芸術新潮』での連載だったそうだが現在の出版不況下だったら実現できなかったのではないかと思われる、オールカラーなのも含めて豪華といえば豪華な連載。どの料理もうまそうで、鰻好きとしては斎藤茂吉のミルク鰻丼が気になるが、料理そのものよりも斎藤の鰻好きっぷりがすばらしい。

 吉本(隆明)さんの料理話を聞いていると、食べ物というのはやはり思い出であり、思い入れであるということが、つくづく理解されてくる。誰もが絶対に他人に譲り渡すことのできない、固有の食べ物の記憶というものをもっている。それは再現できそうでいて、けっして完全には再現のかなわないものだ。食事の微妙な味付けから浮かび上がってくるのは、家族の一人ひとりが作り上げてしまう、微妙な人間関係である。

 食べ物の記憶はこの日記でも結構書いていたと思うが、いま引用しながら思い出したのは、別に思い入れがある食事ではなかった。小学生のころ、半ドンだった土曜日の昼飯は近所の肉屋で売られていたコロッケを喰う事が多かった。コロッケとサラダと白米を、何故か母はワンプレートにしていたが、あれは洗い物の省略だったのだろうか。時はバブル、成金だった我が家に送られてくるお中元お歳暮には豪華食材もあって、キャビアなんてのも含まれていたのだが、酒を飲まない一家なので持て余しており、子供の私がご飯にイクラのようにかけて食べていた、たいしたうまくなかった。いまの方がキャビアを食べたいが、自分で買う事はなかろう。