不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

橋本倫史『東京の古本屋』/古本屋での日記

 web連載時からおもしろく読んでいたが、こうして一冊になってから改めて読んでみると、これは名著ではないかと思う。ここにあるのは東京の古本屋の普段の姿であり、コロナ禍での個人商店の苦悩と葛藤であり、古本屋の歴史であり、個人の記憶だ。この個人とは、古本屋当人とその周り、そして著者各々の事を意味している。だから、たった三日の密着取材といえばそれまでだけど、その日数にしては書かれている内容が濃厚極まりなく、厚くはないが読み通すのに結構時間がかかった。いくつかの店は何度も行っている店で、その棚を思い浮かべながら読んだ。

 つまるところ、本書は日記なのだ。その証拠というわけではないが、店を訪れた日にちがきちんと明記されている。日記だから古本屋運営とは一見関係のない彼らの姿を捉えてゆっくりしっかりと書いている。昼飯はどこで誰と何を食べたのか、どこのスーパーで何を買ったのか、その時その時にどんな会話をしたか。特別な日を取材したのではなく、三六五日全く違う同じ生活の中から三日間を抜き出したのだという感覚になって、それが書き手の視点であり、本書への信頼になっている。

 これだけ会話が出てくるのに著者の鉤括弧による言葉が出てこない、にもかかわらず著者が(もちろん地の文で書いている時もあるけれど)何を言っているのか聞いているのかがわかる。日記は何を書くか、そして何を書かないかがおもしろさのポイントになる。もう一つは、存在感と距離感。ドキュメンタリーやノンフィクションにおいて、観察者がいる時点で「いつも」とは絶対に違う状況だから、そういう中で己の存在感をどう消すか。離れればいいのだろうが、かといって離れていれば近くの観察ができない、その距離感をどう掴むのか。これらが最大の課題なのだが、著者はそのあたりがうまい。うまいというか、少なくとも俺にとっては絶妙の塩梅で、心地よさとハラハラさが同居していた。その辺は橋本さん(突然のさん付けになるが)のいつもの日記からも感じていて、この人のスタンスはいいなといつも思う。ギリギリなので、わりと危うさや怖さもあるけれど。

 知っている人も多いだろうが橋本さんは坪内祐三さんの教え子で、坪内さんが好きな俺は「坪内さんがどんなふうに読んだか知りたかったな」と思った。きっと喜ぶだろうな、東京堂書店トークショーでもやったかもな、そんな気がした。