不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

追悼

 仕事で関わっていた方が亡くなって一年経ち、その人が所属していた会社が主体となって追悼の展覧会が開催されるというので行ってきた。私とは十五年以上の仕事の付き合いがあったのだが、展示された彼の夥しい仕事・作品には全く関わっていない。主の仕事ではなく、どちらかといえば副業的な仕事だったのだ。副業とは言うがその内容はパーソナルな部分に踏み込むもので、彼にとって大事なものだったはずだ。月一回少しの時間のやり取りだけだったが、それを十五年繰り返していたのだから結構な「対話」をしていた事になる。と言ってもこちらから伝えたり話したりする事は少なかったけれど、人生の先輩からの笑い話苦労話、胸に刻むような言葉をいつも大切に聞いていた。出会った人の中でもっともダンディな人で、老いを隠すどころか前面に出してそれを楽しもうとする人だった。展覧会の最後に置かれた仕事群の中の端っこに、関わった人間として私の名前が書かれている。それだけが表向き、私と彼の繋がりで、それでよい。あとは思い出があればいい。「その人との関係の記憶を自分の心の中の墓地のサイズにおさまるようデザインすること」が供養であり(by 松尾スズキ)、そしてこれが俺の供養なのだと思った。