不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

左足がうずく

 二十年前の明日、俺はイギリスのオックスフォードにいた、大学の短期留学プログラムだ。何もあの名門オックスフォード大学に留学したわけではなくて、行った土地、街がオックスフォードだったというだけである。一度くらい海外で過ごしてみろと母に言われ、金を出してくれた、一度イギリスに行ってみたかったのでちょうどよかった、全部で一カ月程度で一一日は数日経った頃だった。

 最初の週末にディスコといえばいいのかクラブといえばいいのか、とにかく踊れる場所に行って適当に踊っていたらコケて盛大に左足首が腫れた。酒も飲まんと一体何をしているのかと我ながら呆れるしかない。念の為に医者に行った方がよいと言われたので、付き添いのイギリス人と病院に向かった。医者の専門用語を交えた英語を、付き添いが簡単な英語にして俺に伝えて、何となく理解するという遠回しのコミュニケーションを何度か繰り返して、骨に異常なし、捻挫と判明。この時に診療代を払った記憶がない、異国での診療費は高いと聞き、高額だったら覚えているはずだが、おそらく大学のプログラムなので大学側が何とかしたのだろう。

 足を動かさずに安静にしているべきなのだが、イギリスまで来ておとなしく部屋に籠っている手はない。足を引きずりながら一人で出歩きまくった。一人だったのは同行者がいたら足が気になるだろう、余計な気苦労はかけたくなかったからではなく単に共に出歩くような友人ができなかっただけである。バスで一時間ほどのロンドンに出て大英博物館やテート・モダンに行った、町を歩いたり、紅茶とスコーンを楽しんだりした。パブにも行って「ペプシッ!」とオーダーしたら店員は満面の笑みで「OK!」と答えてくれた、足を引きずった髭の日本人がパブで酒を頼まない光景は彼らにどう映ったのだろう、フィッシュ&チップスがうまかった。

 足は痛いながらも楽しんでいたある日、宿泊場に戻っていったらやけにシンとしている、テレビがつけっぱなしでみんな食い入るように見ている。通りがかった人に「何かあったんですか?」と聞いたら、「アメリカでビルに飛行機が突っ込んだ」と言った、冗談だと思った、本当だった。大変な事が起きたんだなと思った。この時はもしかしたら次はイギリスが狙われるんじゃないかと言われていて、右往左往している人がいたけれど狙うならロンドンでオックスフォードには来ないだろうと俺は全く心配していなかった。あの光景を見ながら泣いている人がいたけれど、何故泣いているのかよくわからなかった。ニュースや新聞を見ても英語なのでいまいち理解できない、情報を探るのをやめて、前と同じように過ごす事にした。

 帰りのヒースロー空港はまだ混乱の中にあった。搭乗時間ギリギリまで空港内にも入れてもらえなかった。手続きに時間がかかった。歩いていたら突然呼び止められて手荷物をチェックされた、メガネケースまで開けられた、なんやねん、爆弾なんかないっちゅうねん。飛行機が成田空港に無事に着陸した時に客席から拍手が起きた、何の拍手だと思った。いま思えば、あのテロが起きた時にイギリスにいたのはよかった。日本にいて様々な情報の渦に巻き込まれなかったし、それでいてアメリカから遠くて近いイギリスにいる事で緊迫した空気だけは味わえた。

 それだけの話、単なる思い出話である。九月一一日という一日について、これ以上も以下もない。ただ、この二十年間、九月一一日前後はいつも左足が、ほんの少しだけ、うずくような気がする、これはいつまで続くのだろう。