不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

適当

 以前書いたかどうか忘れたけれど、たとえば戦国時代で、この時にこの武将が何故このような行動をとったのかわからなければ様々な資料から読み解こうとするだろうが、実は単に何となくこいつが嫌い、あるいは好きだった、以前言われたひと言とか食事の態度だとか、そういったささやかではっきりとは言えないふわっとした事が行動の理由だったりするのではないかと思う事がある。オカルトや陰謀論をそれとして楽しんでいるカミさんは「全ての事に意味とメッセージがあると思うのは陰謀論の始まり」と言う、その通りだろう。政治でも、社会事象でも、報道でも、エヴァンゲリオンでも、何でもそうだ。軽く考えてやってみた、何も考えていなかった、その程度ではないか。全ての事に意味や狙いがなく、ただあるがままにあるのだと言いたいわけではないが。つい最近、自分がかかわって適当に、適当と書くと軽くやったように思われそうだが、つまり他意なく行った事に、多くの人が意味を見出そうとして右往左往しているのを目の当たりにした。狙いなどは全く考えていなかった、世の中適当に動いているものなのだなとしみじみ思った。