不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

三分の祈り

「わかるよ、クソだよねこの世界は。この病室も窮屈で、俺も牧師なのにこんな格好でごめん。でもさ、3分間ここにいるから、なんでもいい。吐き出してくれ。ぶつけてくれ。だから3分たったら、少し落ち着かないか」
「わかるよ、クソだよねこの世界は」――米コロナ病棟で命に寄り添う、日本人牧師の奮闘(Yahoo!ニュース 特集)

 この「3分」の「なんでもいい」は、話すでも、書くでも、踊るでも、歩くでも、ポップソングでも、猫を撫でるでも、海を見るでも、何でもいいはずで、それをつまりは「祈り」であり、また「願い」と呼ぶのだろう。

 願え、願いこそすべてを可能にする。(『魍魎戦記MADARA赤』)

 生きる事は選び続ける事で、選ぶ事は祈る事、と書く事も祈りに近い、そして全ては自分のものだ。何に祈る、神か仏か、俺の預かり知らぬところである、神でも仏でも猫でも言葉でも三分間のポップソングでも、好きなものにしろ、好きな事をしろ、迷惑はかけんな、生きろ、選べ、祈れ、書け、歌え、踊れ、歩け、進め。(選び続ける - 不発連合式バックドロップ