不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

またお会いしましょう

 二〇二〇年、暮れています。

 《この一年を漢字にするなら停滞》と書いたのは昨年の今日で、停まって沈んでいる自分が次の年にどうなるかなと思っていたのに社会全体が停滞して沈んでしまって、結果むしろちょっと浮いた感じになってしまうとは夢にも思いませんでした。今年一年を漢字にするなら空白だろうかとも考えましたが、別に何もなかったわけでなく、ただひたすらに何かがずっと続いていたので色は白でも空いてはいない、白に塗りたくられたようなイメージでしょうか。ならば社会も私もその塗られた白に次はどんな色をのせるのかが問題になってくるわけですが、はてさて。

 先のライブで吉井和哉が「もう話す事は何にもない」と言っていましたが、正直私も毎年書いている〆のこの挨拶で書く事があまりありません、例年以上に何かを書こうと思ってずっとこの日記を書いてきたつもりですので。それが小さな丘のようなささやかなここを読んでいる皆様に届いていればいいのですが。数日前に書いた通り吉井は「普通の野良犬に戻ります」と活動休止前の最後のMCと同じ言葉を使い、しかしすぐにおどけた口調で「またお会いしましょう」とも続けました。今年は仕事でもプライベートでも親しかった、あるいは近しい人が何人も逝ってしまい、その人たちとの最後の挨拶も「ではまた」「またね」でした。再会を祈って、しかしそうはならなかった。しばしの別れ、もしかしたら永遠かもしれない最後の挨拶が「またね」という軽いものである切なさが、私は好きです。ですから、二つの意味でもう書く事のない今年の日記もこの言葉で〆たいと思います。

 よいお年を。またお会いしましょう。