不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

すーちゃんと呼んでいた

 二十ばかり歳の離れた友達が亡くなった。生まれ故郷に住んでいて、年に一、二度会ってはうまいものを食べてだらだらとりとめのない話をする時間は身の置き場のない故郷での唯一といっていい愛しい時間だった。十数年前にかなりの難病に見舞われ、会う時はいつも笑顔で溌剌としていたけれど共通の友人から危うい事が何度かあったと聞いていたので、もしかするとという覚悟は持っていた。だから体調が悪化し入院、歳を越せるや否やといった状況と知った時は静かに受け入れられたけれど、亡くなった一報が届いたら呆然としてしまい、時折不意に涙が溢れる一日だった。文章を書いていても心ここにあらずで、直後にそうした思いを公の場に書いていいのかと逡巡もしたがこれが俺なりの追悼なのだといささか開き直るかのように、そうしなければ瓦解しそうな気がして、何とか言葉を探して紡いでいる。

 母の英語の先生だった、その流れで知り合った、笑顔が素敵だった、センスが抜群だった、グリーンカレーを生まれて初めて食べさせてくれた、『グラップラー刃牙』をおもしろいよと全巻くれた、グレン・グールドを教えてくれた、よく食べた、淹れるコーヒーが絶品だった、ジュエリー・デザイナーだった、結婚指輪を作ってくれた、格安にしてくれた、独立独歩だった、よく笑った、大きな犬が好きだった、母の親友だった、姉の友達だった、俺の友達だった、全てが過去形になった現在さみしくて仕方がない、いまこれを書きながら彼女の愛するグールドの「ゴルトベルク変奏曲」を聞いている、故郷に帰る理由が一つなくなってしまった。