不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

メメント・モリ/五年遅れたおかえりなさい

 私は今、何を描こうというあてもなしに、これを書き始めた。こんなふうにして書くのは初めてだ。
 右にいま題名を掲げたが、最初に浮かんできたのは、この言葉だった。
 メメント・モリ

 原田宗典覚醒剤大麻の所持で逮捕されたのは二〇一三年九月で、その二年後の二〇一五年七月に発売された『新潮』八月号に本書のもとになる『メメント・モリ』という小説は発表された、逮捕後の復活作でありおよそ十年ぶりの新作小説であった。俺は宗ちゃんが逮捕された時に日記にこう書いた。

 優しくって少しばか - 不発連合式バックドロップ

 《「待っているよ」という一言は伝えたいと思う》と書いておきながら、『新潮』が発売された時に「おお、復活作だ」と思って単行本になってから読むつもりでいたのにすっかり忘れてしまい、五年も経ってからようやく読んだ。しかも佐々木敦の新刊『絶体絶命文芸時評』を読んでいたらこの作品が取り上げられていてそこで「傑作」とあったので手に取る始末で(傑作だから読んでみようと思ったわけではないが)、何が「待っているよ」だと自分の薄情ぶりにがっくりした。

 書かれているのは「私」の十年の間のあれこれである。率直に言って「私」はロクデナシであり、駄目男だ。躁鬱病にもなり、薬もやって逮捕された、まぁつまりは宗ちゃんその人であろう。だが、この十年ぶりの小説がその十年の間の私小説なのかどうかはわからない、どこまでが本当でどこまでが嘘なのか、気にならないといえば嘘になるがそれは本質ではない。ここで「私」が時間や空間をあちこち飛ばしながら、起こした事、また身の回りで起きた事が、喜劇でも悲劇でもホラー的な話でも、ユーモラスに、どこか飄々とした佇まいで書かれている。それは変わったようでいて、俺にとっては原田宗典という小説家が書く作品そのもので、それが本当に嬉しかったし、何よりおもしろかった。精神科医の前で失禁したくだりは、正直笑いをこらえるほどであった。終盤でいささか話をまとめようまとめようとしたきらいがあって、最後には自分で書こうとしていたものはこれだと探りあてるのだが、そこはもっと自由のままにしてもよかったのではないかと思う。それでもなお地上と一本の線だけで繋がっている、未来から来る風を受ける凧が己であり、そこから見える光景こそが現在なのだというまとめは、俺は嫌いになれなかった。

 もうすでに本書は文庫化され、次作(『〆太よ』)まで出しているというのに、また何よりも五年も遅れておいてこんな事を言うのも何だけれど、小さいけれど明るい声で「おかえり」と宗ちゃんに言いたくなる、そういう小説だった。

メメント・モリ (岩波現代文庫)

メメント・モリ (岩波現代文庫)