不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

九月一七日、新聞記者

 電車に乗ったり、昼飯喰ったり、珈琲豆買ったり、古本屋をのぞいたりしている時も、iPhoneで電話をしたり、メールをしたり、資料を確認したり、その件で打ち合わせたりしていた。片手で持っているスマートフォンだけでそれくらいの事はできるのだから、なるほど、ノマド(だっけ)なる働き方が生まれるのもわからんではない。どこにいたって仕事ができる、便利だ、それが幸せかどうかはともかくとして。片手間でも仕事をしていたせいだろうか、仕事も用事も終えて帰路についた時はもう夕方くらいかと思っていたが、まだ十四時頃であった。

 帰宅し、Netflixで何か見ようと選んだのは『i 新聞記者ドキュメント』。あの『新聞記者』については酷評したが、それが日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞するのだからお笑いである。さらにそれがNetflixで改めて映画かドラマかになるそうで、まぁ題材はいいわけだからなと思ったが監督とプロデューサーが映画と同じだからもう諦め気味だ。といった事が先日あったので、そういえば見ていなかったし、森達也監督作品なら『新聞記者』よりおもしろいだろうと期待というわけではないがそう思って見始めたら、これがまた退屈でつまらん。いや、おそらく森監督はがんばっただろう、カメラが捉えた映像はどれも力強く印象的だ。ただ「望月衣塑子とは何者か」を問いかけるには対象に全く肉薄していない。佐村河内守にあれほど密着した姿はなく、あくまで取材しているところのそばにいるだけ。かろうじて何かを食べている姿を何度も写す事で彼女の何かしらの面を探ろうとしているだけだ。おそらく望月記者がそこまで密着させなかったのではないか。では彼女の仕事ぶりだけを撮影すればいいのかというと、それは全くもって薄っぺらい。熱心に取材しているけれどあまり活かせていないのではないかと余計な心配すらした。

 このままでは駄目だと思ったのか、今度は森監督は自分で動き出した。官房長官会見に潜入したいといろいろ画策する。いったいそれに何の意味があるのか、いまいちわからないがとにかく動いた。そうすると見えてきたのは政権のあれこれではなく、メディアが、もっといえばマスコミ会社が抱えている、記者クラブなどの問題だった。そして望月記者もまた東京新聞という会社が後ろ盾であると同時に枷になっていると見えてくる。劇中、もっとも刺激的だったのは隠しカメラで裁判所の中を撮影した森監督に対して望月記者が「それを映画に使うのは駄目だ」と声を荒げて怒るシーンで、「私は関係ないならいいけれど」「会社に迷惑がかかる」と彼女もまた会社に囚われている事を示し、映画プロデューサーに電話をして抗議するまでをさりげなく隠しカメラを卓上に配置し、わざとかたまたまか、望月記者の顔が見えないように撮影されており、それが逆に彼女の感情を炙り出していた。おもしろかったのはそこくらい。突然アニメが出てきたのには苦笑するしかなかった。

 何もつまらないのにこんなに長々と語る事もない気がするのでこの辺にするけれど、まことに残念なドキュメンタリーであった。夕飯後、口直しというのは悪いが、違う映画も見出したけれど時間切れで途中まで。