不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

七月四日、焼け野原

 仕事がないわけではないが絶対に行かないといけないほどではなく、こういう時にどちらを選ぶかというと行く方を選んでしまう。カミさんも仕事の作業があるというので会社に行けば邪魔にならないし仕事もできるし一石二鳥、と言い訳まで作って。休み下手なのだろうか。ちびちびと作業を進めて、誰もいなくなったので適当なタイミングで帰る。俺は何をしているんだろうと時折、だけど強く思う時がある、いまだにモラトリアムなのかと自分にぐったりしながらだけど。

 家でネットを見ていたら、Bunkamuraシアター・コクーンの芸術監督となった松尾スズキが、アクリル演劇祭を始めるにあたって書いたらしい一文が流れてきた。何気なく読み始めたら、これがけだし名文で、何度か繰り返し読みふけた。

【シアターコクーン芸術監督 松尾スズキ「コロナの荒野を前にして」】

 大人計画及び松尾スズキの舞台を生で見たのは一度だけで、映像でも数作見ただけだ(演出では『キャバレー』を見た)。正直言うと、劇作はそれほど好みのものではない。でも俺は松尾スズキのエッセイやコラム、そしてその文章が好きで、不意に、さらりと、核心をついてきて、俺はその言葉を座右の銘のように胸に刻んでいる。全文読んでいただきたいが、ここにも刻んておきたくて、少しだけ引用。

しょせん暇つぶし。しかし、人は命がけで暇をつぶしているのだ。

かつて私が『TAROの塔』というNHKドラマで演じた岡本太郎は、終戦後焼け野原になった東京でスキップしながらシャンソンを歌った。フランス語なので覚えるのが大変だったが、 非常にバカバカしくて、そして、涙が出るほど美しいシーンだった。初めて主演したそのドラマは、放送第二回目を前にして3.11の大地震が起き、ニュースで放送時間がズタズタになった。必死で覚えた長台詞を喋る私の顔の上に容赦なく津波の被害のテロップが流れる。もちろん、地震のニュースに比べれば、ドラマなんてなくてもいい。

実に自分らしい初主演だった。

しかし、私はあのときの太郎さんのように、焼け野原を前にしてシャンソンを歌おうと思っている。喉元にはもう、その歌は溢れかえっている。