不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

定期入れという生

 仕事関連の通夜に行った。人が多く焼香の列に並んでいる時に定期入れがない事に気づいた、落とした、おそらく会場でコートを脱いだ時と思われる。あの手のものはわりと届けられるので大丈夫ではないかと自分を落ち着けながらも、手もとにないのだからやはりそわそわする。久方振りにお会いする人に挨拶したり故人の思い出を話したりしたいのに、頭から定期入れが離れない。焼香の瞬間こそ忘れたが、その前後は戻ってくるかと心配していた。入っているのは定期をはじめ再発行できるものばかり、SUICAにチャージした電子マネーと非常用現金だけが損なわれるだけといえばだけだが、再発行が面倒くさい、帰りは切符を買うのか、電子マネーはいくら入っていたっけ、などと目の前の事が浮かんでは消えた。誰だっただろう、葬式に行く途中にあったコンビニで新聞だか雑誌だかの見出しを見て笑ってしまった、寂しい哀しい時でも笑ってしまう、これが生きる事だと書いていた事を思い出した、死者を思いながらも目の前の小さな事にとらわれている。昨日までのみんなの思い出、今日の誰かの死、明日の俺の生、定期入れひとつで大げさだがそんな事を思う。定期入れは受付に届けられており、無事に手もとに戻ってきた。