不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

ストリートワイズの人

 訃報でこれほどの驚きと衝撃と悲しみを受けたのは三沢光晴アベフトシ以来だ。ショック過ぎて言葉にならない、と書いて終わりにしたいのだが、書く人書き残す人であった坪内祐三の死についてなのだから、つたなくとも短くとも何であれ、とにかくいま書かなければ、書き残さなければならないだろう。

評論家の坪内祐三さん死去 61歳 エッセーや書評人気:朝日新聞デジタル

 坪内さん自身、2019年は「死者の当たり年」になったうえに最近は《死亡年齢が下っている》と『文藝春秋』2020年2月号の「人声天語」に書いていたけど、まさか年明け早々自分もそこに入ってしまうとは思っていなかっただろう。『酒日記』を読めば一目瞭然なくらい酒を飲んでいる人だったので、早死にするのもわからんではないのだが、理解できるからといって納得できるわけではないのだ。

 大学入学してすぐに知って、それ以来ずっと読んでいた。膨大な仕事量だから全てカバーできたわけではないが、できるだけ目を通していたし、本は出れば買っていた。もちろん全部の趣味や意見が合うわけではない、肯定もあれば否定もある、売ってしまった本だってある、されど間違いなく俺の指針であった。この人がいなければ知らなかった事は山とあるだろう。まだ61歳、この60代の、そして70代の坪内祐三が書いた文章を、本を、俺は読みたかった、本当に読みたかった、まだまだ書きたかったはず、書きたいものがあったはず、それが読みたかった、残念でならない。『四百字十一枚』(みすず書房)で、谷沢永一『紙つぶて―自作自注最終版』を取りあげた回でこう書いていた。《『紙つぶて』をリアル・タイムで愛読し続けてきた。そして学習し続けていった》。俺は坪内さんの文章をリアル・タイムで愛読し続けてきた、そして学習し続けていった、それが終わってしまった事が寂しくて仕方がない、いつか終わりが来るにしても早すぎて急すぎだ。

 何か駄目だ、うまく言葉にならない、文章を書けない。指針を失って迷子になったような気分だが、坪内さんは通りを歩き、何かを探し、雑に読み、物を考え、勘を働かせ、楽しみ、怒り、そして文章を書く人だった、俺も俺なりに通りを歩いていこう、それしかない。何かを探して、雑に読んで、文章を書いて。