不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

年末派ナゴヤドーム日記

 いわゆる「遠征」というのは、何年前だったか中村勘三郎中村座を見に大阪に行った事があったが、あれは母が率先して動いていたもので、自分からの「遠征」は今回が初めてだ。場所は名古屋、向かうはナゴヤドーム、目的はThe Yellow Monkeyのライブである。ドームツアーの初日。そもそもはドーム公演のチケットを東京・東京・名古屋と第三希望まで申し込んだら、それは全て別個の申し込みで全部当選してしまった。名古屋はやめるつもりでいたが、いや年末なら一泊で行けるではないかと思い直して、この度の「遠征」となったのだった。

 9時30分に家を出て、電車で東京駅へ。仕事納め後の土曜とならば帰省ラッシュの真っ最中であろうと予想していた通り、すごい人混み。一度姉夫婦の仙台帰省を共にした事があったので経験済みではあったが、これは大変だ、あまりしたくはない。早めに駅に着いて、新幹線内で小腹を満たすための海老カツサンドを買い、コーヒーを飲んで一息つく。まだ時間があったので地下街を散策してみたら、丸の内口のほうは人が少なく、店もトイレもすいていた、小さいが本屋もあった、今後はこちらを活用しよう。12時5分のひかりに乗車、当然指定席は満席でデッキに座り込む人多数。ナゴヤドームのチケットがとれた段階で新幹線と宿泊先の予約をしておいてよかった。海老カツサンドを食べて、本を読んでいたらもう名古屋。

 14時5分名古屋着。とりあえず腹を満たそうと、地下街エスカにあるひつまぶしの店「備長」に行くも長蛇の列。どうするか悩むも、わりと進みが早そうなので並ぶ。30分くらいで店内へ。先に注文していたので早めに品物も来た。ああ、これぞ鰻、前に喰ったのはクソであった、うまいうまいとあっという間に喰らう。食後、コインロッカーに荷物を預けるつもりがどこもかしこも混んでいて空きがない。このままあっちいったりこっちいったりで時間を費やすわけにもいかないので、もうホテルに行く事にして、タクシーに乗り込むもそのタクシーの運転手の態度がひどかったものでげんなり。降りようかと迷っていたら、ホテルがすぐそこだったのであっという間にたどり着いたのでよかった。よくあんな態度で運転手ができるな。

 チェックイン、少し休んでからナゴヤドームへ。タクシーか電車か、知らない土地での判断は難しい。タクシー待ちの列を見ながら電車を検索すると、ちょうどいいのがもうすぐ来るとわかったので慌ててホームへ。目当ての電車に乗れて、これでよしと安心していたが、乗り換えを忘れており、うっかりそのまま乗りそうになってしまった。またもや慌てて降りて、無事に乗り換え。最寄り駅までくればもう大丈夫……と思いきや、意外と入るのに手間取って、開演に間に合うか、いやオンタイムでは始まらないか。なんとか五分前に滑り込んで、やれやれと一息ついていたら、まさかのオンタイムでスタートしたのでまた驚く。

 ”SECOND CRY”で始まって驚いた、あとで「このライブにはメカラ・ウロコの要素もある」と言っていたので選んだのもわからんではないが、吉井一人で花道の先にあるステージでギターを抱えて歌っていて、逆光によって神々しさすらある一人の姿はちょっと孤独に見えてしまった、バンドではないか、と。だが振り返ってみれば本編最後が”シルクスカーフに帽子のマダム”、つまりはマリーになるわけで、ジャガーからマリーへという物語は吉井一人で完結するしかなかったようにも思う。実際に”シルクスカーフに帽子のマダム”の曲前に吉井は彼一人の思いとして曲について話していた。そうやって自身の中にあるペルソナを孤独として抱えている姿は、解散していた時期にたった一人で12月28日という日とステージを守り続けていた姿と重なって見えた。だけどいまは後ろにいるのは、全幅の信頼をし、さらにビルドアップしたバンドメンバーである。だからこそ、ドームライブの最後の曲を、マイナーなこの曲でも大丈夫なのだと自信をもって演奏したのではないか。

 ライブ全体でいえばアニバーサリーのベストアルバム的セットリストだと軸がなくてバラついた印象を受けがちだが、ドーム四公演すべてセットリストを変えると公言しまくることで己を縛り、加えて横綱級の曲をこれでもかと入れ込みながらも、あれもやっていないこれもやっていないと、まだまだ余裕を見せ、今回の場合はジャガーで始まりマリーで終わる流れの中にロックチューン全開の楽曲ばかりで構成しており堂々たるなもの。最初のドーム二回で肩慣らし(というにはいささか辛い状況だったが)、二度目のドームで完全にステージを自分たちのものにして、今回のツアーではもはやホームであるかのようなふるまいで、貫禄のパフォーマンスであった。過去のピークを乗り越えた新たなピークなのだと改めて思った。コアな曲もすばらしかった、メジャーな曲もよかった、全てよかった。

 終演後、新曲の音源が流されていた、おそらくエマ作曲ではないか。聞き終えてからドームを後にし、JR大曽根駅まで歩き、電車で名古屋まで出る。途中、千種駅があって、そこで思い出したのは俺はこの電車に乗って千種にある河合塾に通っていた事である。名古屋と千種の間に金山があったので間違いない。最初に行ったのは小学校4年生だから10歳、29年前、1990年、ザ・イエロー・モンキーが誕生して一年経った頃、俺は毎週日曜に電車に乗って岐阜から千種の河合塾に通っていた。千種駅のホームにあるきしめん屋で温かいきしめんと冷たい焼き鳥を食べたのを覚えている。姉と通っていた。姉はサボった事もあったそうだが、俺は真面目に通っていた、金もない小学生がサボる事なんてできなかった、いやできたかもしれないが、俺にその度胸はなかった。なんというか、おもしろみのない子供であった、いまもかもしれない。何故自分が勉強しているのかもよくわかっていなかった、受験をするのだろうとうっすらはわかっていた。あの頃、俺はどれくらいの成績だったのか覚えていない、それほどよくなかったのではないか。結局、東京のある中学に受かって家族で上京した、その東京からわざわざライブのためだけに千種の近くに来ている29年後。バンド30周年のライブを見たり、先に引用した『ジュマンジネクスト・レベル』の台詞を思い出したり、年をとることを考える。

 名古屋駅についてからホーム内にある看板を見たら、駅ビル内に味仙という台湾ラーメン発祥の店があるとわかったので行ってみる。これまた並んでいたが、まぁいいやと並ぶとこれまた意外と進みが早い。10分くらいで入店。辛い、旨い! コンビニで買い物をしながらホテルに戻る。一休み後、大浴場に入る。部屋に戻り、ポメラでこの日記の下書きを書いて寝る(下書きに手を加えて掲載)。