不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

文章を書く

 会社で新聞を読んでいたら、読売新聞の一面左に「国語力が危ない 『読む・書く』の今 中」という記事が載っていた。縦タイトルは「ブログ まず手書きで」、ブログに書く前にノートに下書きしたらどうか云々パワーポイントはかんぬんという内容だった。今日が中なら昨日が上で明日が下だろうと昨日の読売を取り出したら予想通り、一面トップにあった。一面トップにするようなものなのかと思うが、日本の若者の読解力低下が判明した事を受けてなので、いまが旬と考えたのだろう。上のタイトルは「文章作れぬ若者」で本文の出だしに、

「この公園には滑り台をする」

 という一文があり、これは横見出しにもなっていた。言うまでもなく若者の駄目な文章の代表例であり、《こうした「主語・述語が不明確で、意味が通じない」文章》と書かれて、もう少し後には《「なぜこのような考えが現実性を持ちやすいのかを、解明が進んでいる」》という一文も引用される、前者は予備校の現代文の講義で《受験生から提出された要約文》、後者は卒業論文であり、そういったものとして書くには適切ではない、というか間違っているであろうが、たとえば『未明の闘争』以降の保坂和志の文章を読むとこうした脱臼したかのような文章がわんさか出てくるので、「これはこれでありなのでは」とつい思ってしまいそうになる。記事では他にもこんな悪い例もあると言わんばかりに書く。

原稿用紙2枚分、計800字の作文を、すべて「、」でつなげ、1文で書いてきた高校生もいる。

 だがちょっと待ってほしい、とは朝日の「天声人語」でよく使われる言い回しだがそれはともかく、これはたとえば蓮實重彦、あるいは金井美恵子のような息の長い一文、ヌーヴォー・ロマン的なものを狙った可能性はないのか。記事にはこれが何の文章なのかは書かれていない、試験問題の回答か、読書感想文か、作文の授業で書かれたものか、場合によっては立派な文章の個性に思える。むろん、立川談志が言うように、型があって型破りであり型がなければ単なる型なし、何もわからず書いたかもしれないので諸手をあげてこの個性を活かすんだ、とは言えないが。

 こんな文章でも毎日書いていれば自分なりのリズムや文体みたいなものができてくるのだが、仕事で書く文章にも出てきてしまう時があって、たまに書いてからちまちま修正する事もある。文章とはおもしろい、言葉の使い方つなぎ方で人柄が見えてくる気がする、といった事は以前書いた。読解力が低下しているかどうかは知らないが、文章を書くのも読むのもおもしろいから、オススメではある。新聞記事を読んで何となく書き出したらまとまらなくなってきたのでここで終わります。