不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

ashes to ashes, dust to dust

Twitter、休眠アカウント削除へ 対象アカウントに12月11日までにログインするよう警告 - ITmedia NEWS

 先日、もう更新されないブログについて書いたが、Twitterをめぐって上のようなニュースが流れ、嫌だ残念だという声が大きいようで、コアなTwitterユーザーの中には「死者の生きていた証を消す権利があるのか」と怒っている人がいたけれど、権利はあるだろう、一企業として商品ないしサービスを運営しているのだから、そもそも「生きていた証」なのだろうか。Twitterをインフラあるいはメディアと思っている人もいたが、しょせんは呟きでしかなくて、基本的には流れていってしまうものだと俺は考えている。故人の言葉を消す事に何の思いもないのか、企業の考えやいかにと言うのはわからんではない、しかしそれでも俺は消してもいいのではないかと思う。いま聞こえて来るのは生者の声であって死者の意思はどこにもない、遺族であっても本人ではない、本人がいつまでも残しておいてほしいと願ったのなら誰かがその意思を継げばいい、好きにしろ、第三者がああだこうだ言うものなのかという疑問もある。「いなくなってしまった人達のこと、時々でいいから思い出してください」、だけどその誰かだっていつかはいなくなる、誰かを思い出す他の誰かがいる。いつしか最初の誰かは記憶の灰となって消えていく。どんな人間も最後には無縁仏、全ての墓は砂になり塵となり、友よ、答えは風のなか。

永遠じゃなかったそれを、
愛じゃなかった、と言われても、
どうでもいいよ。そう答えるだろう。
どうせ、ぼくは永遠には生きられない。*1