不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

吾妻ひでおと日記のこと

 先々月に大岡昇平の『成城だより』が中公文庫からひと月一冊全三巻で復刊して、講談社文芸文庫版は持っているけれどつい買ってしまい再読していたら、日記に金井美恵子が登場したので『目白雑録』シリーズも併せて再読し始めた。どちらも読み終えて、次に何にしよう、二人共通の知り合いらしい武田百合子の『富士日記』にするつもりが今月中公文庫から『富士日記を読む』が出たのでまずそちらを読んで、これの後に『富士日記』にするかなと思って、『富士日記を読む』を読み終えた今日、「『失踪日記』で知られた」吾妻ひでおの訃報が届いた。

 鉤括弧で括ったような『失踪日記』(イーストプレス)が代表作であるかのような報道(リンク先の産経以外でもこういう紹介の仕方が多い)に異をとなえる人はネット上でたくさんいてわからんではないけれど、あの作品があるかないかで世間の評価は全然違うのではとも思うので仕方ない気もする。傑作なのは間違いないのだし。69歳、波瀾万丈で身体ボロボロ、やや自滅型で諦観した漫画家で、自分自身も還暦を迎えた時に《俺がこんな歳まで生きてんのがなんかの間違いだよなー》(『ひみつのひでお日記』角川書店)と書いていたので、それから九年、七十手前まで生きるのは意外だったのかもしれない。だが一方で今年出た『不条理日記 完全版』(復刊ドットコム)の「あとがき」には《(闘病記のような)漫画を描きたいことは、描きたいんだけど、どうしようかな。多少、絵柄が変わっても、描いてしまおうかとは考えているところです》とあり、まだまだ漫画を描くつもりだった事がわかって、やっぱり、本当に、残念だなと心から思う。

 『失踪日記』『不条理日記』が傑作なのは言うまでもないし私も好きだけれど、「日記」と冠しながらも正確にはこの二作は日記ではない(まぁ『不条理日記』は日記といえば日記、日記形式のSF)、だが吾妻ひでおは日記漫画、本人の言葉で言えば絵日記をたくさん描いていて、私はこれがもっとも好きだった。「リアリズム(だから退屈ですよ)」と本人は書いていて、たしかに本当に日記だからリアリズムだったけれど、そこかしこにSFの風味が散りばめられていたのがおもしろかったし、文章数行とそれに関係あったり無関係だったりの絵(漫画)が添えられていて、それが一ページ三〜四段分あって内容が濃かった、隙間があるのにこれほど読み応えのある日記は他に知らない。だらだらとHPなどで絵日記を描き続けてほしいと願っていた。「日記の最大の欠点は生まれた時と死んだ時が書けないこと」と誰かが言っていた、その通りだろう、だが吾妻ひでおなら書ける(または描ける)んじゃないか、飄々とSFでもリアリズムでも、そんな事を思っていた。

 読み終えた『富士日記を読む』に平松洋子が「供物として」と題した文章を寄せており、それは『富士日記』のある一日からの引用で終わっている。

「雨が降るたびに、草はのび、葉や枝はひろがり、緑は深まってきて、時間が刻々と過ぎ去ってゆく。毎年私は年をとって、死ぬ時にびっくりするのだ、きっと」(昭和四十六年六月四日)

 吾妻ひでおのTwitterを見ると、自身での最後の投稿はおたまじゃくしの事だった。そして前述した『不条理日記 完全版』「あとがき」の〆は《また、お会いしましょう》だった。吾妻ひでおもおたまじゃくしを見ながら時間が過ぎ去ってゆき、死んだ時にはたぶんびっくりしたのではないかな、と私は思っていて、驚いている「吾妻ひでお」の顔を思い浮かべてニヤッとしてしまったのだった。