不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

消費

 他国への憎悪も、政治家への怒りも、誰かの追悼も何かの反省も、労働も生活も、はたまた歴史や政治、権力ですらもキレイにパッケージングされて、ただひたすらに消費して(されて)いっている気がする、そんな消費者である我々すらも消費されていっている、自分は生産者だと思っているけど消費者であり消費物でしかないのではないか、その流れに抗えるのかというと、もう無理なのではないかと思う。「俺たちは消耗品かもしれませんけど、使い捨てじゃないんです」という永田裕志の名台詞を胸に刻んでおくくらいしか俺にやる事はないのかもしれない。