不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

江藤淳は甦える/別に甦らなくてもいい

 実はあまり読む気はなかったのだがひょんな事から(どんな事だ)本書が手元に来たので、平山周吉『江藤淳は甦える』(新潮社)を読んでみた。分厚い本書を黙々と読み進めていく中で、何度か「そんなに興味のない人の評伝を読んでどうするんだ」という思いが去来したが、読書でどうするもこうするも明確な目的のようなものはないはずだし(ビジネス書や啓発書ならあるけど)、中盤くらいからおもしろくなった。読み終えてまず、別に甦らなくてもいいのでは、と思った、タイトルは江藤の著作題名の捩りだとしても。評論家はその時代の存在であり、ある時期までならまだしも、未来永劫生き続けられるものではない気がする。

 それはそれとして江藤淳について調べまくった力作労作である。妻に先立たれて、病気もあって自殺したとは聞いていたが、実は愛人もいて、彼女も妻と同時期に病死しており、それも自殺の一因ではないか、との事だが、愛人いたんかいとズッコけた。俺が潔癖なのか。論争(喧嘩)相手である埴谷雄高吉本隆明大岡昇平大江健三郎とのエピソードは特におもしろい。いまだに生き残っている大江という存在はいろいろな意味で稀有だ、石原慎太郎もそうだな、この二人は両極だ。いまでも話題になるWGIPは江藤が見つけてきたものだが、その件に触れた記事で江藤の名前が出てくるのをあまり見ない。本書でもそれほど触れていなかった。

 江藤の著作はほとんど読んだ事がない、『妻と私』『成熟と喪失』『文学と私・戦後と私』『閉ざされた言語空間』、それから『漱石とその時代』くらいか、思ったより読んでいた。正直、本書を読んでも江藤の他の著作を読みたいとはほとんど思わず、むしろ彼が言及した、あるいは彼に言及したものを読みたくなったので、本棚から坪内祐三アメリカ』と、先日古本屋で買った加藤典洋アメリカの影』をとりあえず抜いておいた。あと漱石も読み返したくなった。

江藤淳は甦える

江藤淳は甦える