不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

食べたくなる本/おいしくなければ意味がない

 三浦哲哉『食べたくなる本』(みすず書房。著者は映画評論家で、『サスペンス映画史』や『オーバー・ザ・シネマ 映画「超」討議』を読んだ事があっておもしろかったが、本書は正直その何倍もおもしろいのではと思ってしまった。ご本人がどう思うかは知らない、結構前に読み終えていたのだがどう感想を書こうか悩んでいたら時間が過ぎてしまった。料理の本ではなく、料理本の本。単に料理本の内容や著者の考えをトレースするのではなく、著者が考えに考え抜いたレシピを再現する、実は料理本を読んで書いてあるレシピで料理を作る我々もまさに同じ行為をしている、それはある意味遠回りの方法によって見えてくる自分と食そのもの、あるいはその関係。趣味の本といえばそうなのだが、最後には福島、放射能と食の問題にも切り込んでいて、間違いなく、現在の本。Netflixで本書を元にしたドキュメンタリーが作られないだろうか、絶対におもしろいと思うのだが。

 一昨日書いた「行かなくてもいい店」を読んだ姉から、「いいねを100くらいつけたかった」と感想が来て、「外の店ではプロの業を食べたいよね」との事であった。その流れから「甘くないケーキはうまくない、体にやさしいケーキはおいしくない」とメールで言う。これはある料理法ないし思想についてなのだが、それが好きな人もいるので名前や詳しい内容は割愛する、ともあれ身体にいいかどうかを考え尽くしたもので、ケーキにも砂糖を使わないようなものであった。姉も母もそれを学んでいて、ある程度共鳴もしていたのだけれど、ことケーキに関しては前述のように否定的だった、俺はその事が何だかツボで、思い出すたびに笑いがこみ上げていた。わざわざ学んで、身体にいいとされているけれど、「うまくないなら意味がない」と一蹴する、一言でいえばロックである、パンクである、見習いたい。

 極限において求めるべきは「パンか薔薇か」という問いに対しての答えは「パンも薔薇も」のはずだが、ここで薔薇をおいしさに置き換えたらどうか。「飢えが凌げるのであれば、おいしくないパンでもいいだろう」と言われて、確かに極限の状況であればカチカチのパンだって有難いものなのだが、果たしてカチカチのパンだけで生き続ける事に意味があるのか。贅沢な食材や料理が欲しいわけではない、せめてパンがやわらかい、あたたかい、ちょっとだけ塩やバターがある、それだけで違うはずだ。人は食べなければ生きていけない、だったらおいしいものを食べた方がいいに決まっている、だからおいしくなければ意味がないのだ。

食べたくなる本

食べたくなる本