不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

乱高下

 イヤホンの調子はやはり音飛びをしてイマイチなのだが自分の体調や気分の方もイマイチで、気温が上がったり下がったり気圧も上がったり下がったりしていて、その影響で気分や気持ちも上がったり下がったりするから今週は悩んだり考えたりせずに全部気圧のせいにしましょう、というツイートが流れてきたので俺もそういう事にしておいた、解決にはならないけれどその場をしのぐために。

 気とは何か、正確な意味は調べていないけれど、『ドラゴンボール』世代からすると自分の内側にあるエネルギー、生命力みたいなものという認識でいる、気を武器にして戦うあの漫画の最終兵器が元気玉というのはなるほど納得だ。随分前に一度だけ気功師に身体を見てもらった事がある。俺は付き添いだったのだが、せっかくなのでどうぞと言われ、せっかくだからと横になり仰向けになった俺の右足を左手で、左足で右手で気功師が掴むや、「以前、左足を怪我したこと、ありませんか」と聞かれた。その数年前に捻挫していたのでその旨伝えると、「やっぱり。右と左で気の流れが違いますから」と言う。ほほう、掴むだけでわかるものか、気の流れときたか、さすがだなと感心する一方で、何百(千?)人もの身体を触ってきただろうその経験から感触手触りで違いがわかるのではないかなとも思っていた。

 キリストやブッダなど昔の聖人の病人を治したという奇跡は、実は彼らが病気や医療の知識を他人より持っていたため、適切に処置対処したからではないか、という説を聞いた事があって、気功師に接してそれを思い出した。ではキリストやブッダがどこでそんな知識を仕入れたのか、それこそ神の声を聞いたのではないか、それは奇跡ではないか、という考えもあるか。彼らが宇宙人や未来人という説もあるそうだ、だいぶ無理がある、オカルトに無理も何もないか。

 偉人聖人でなく現代でも奇跡と呼ばれるものはある。気がどうだとか、手かざしのヒーリングだとかがそうで、基本的にはそのまま丸呑みはしない、できない、まぁ信じていない。目の前で盲人の目が開いたり、その場を飛び回ったり、死人が生き返ったりすれば驚くだろうが、単なる奇跡だとは思えない、必ず要因がある。

 この世に不思議な事は山とある。だが奇跡なんかない、運命も必然もない、あるのは偶然だけだ、そう信じている。不思議と奇跡は違う。別段、強固な主義主張のつもりはない、単にその方がおもしろいからだ。実は決められた結果に対しての逆算よりも、様々なものが重なって辿り着いた方がいい。ただそれだけだ。俺たちはその日その時の気圧や気温で気分や気持ちが変わる、ずっと変わり続けている。