不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

クリード 炎の宿敵/俺の名字を言ってみろ

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 ヴィクター(フローリアン・ムンテアヌ)はあれだけの実力があるなら普通にボクサーとして頭角を現すだろうから、だったら姓を隠して戦い続け、ついにたどり着いたタイトルマッチで履いてきたボクサーパンツに記された「DRAGO」の文字と側にいる男イワン(ドルフ・ラングレン)の顔に対角線にいたアドニスマイケル・B・ジョーダン)もロッキー(シルべスター・スタローン)も驚きを隠せず、そのまま第一戦のゴングが鳴る……というくらいの外連味があってもよかったのではないか、とまで書いたところで、これは『グラップラー刃牙』の最強トーナメントのくだりそのままである事に気付いたが、しかしまぁそれくらいのはったりは欲しい、良くも悪くもそつがなくまとまっている、とても小さな作品であった。

 少なくとも「ロッキー」という名前から「クリード」という姓にシリーズ名を変え、そして本作で「ドラゴ」を大写しにするのであれば、国家を背負いながら敗北し、周囲から冷遇され、その国家も崩壊、家庭も壊れた父、そして子のドラゴ家の物語なのだから、その父子をもっと描写してほしかった。何より息子が父に、敵に、国家に、ボクシングにどんな思いを抱いていたのかを描くべきだったのではないか。それともあまりドラゴ側を描いてしまうと、金・女・車を手に入れたスターで、母の愛もあって、唯一不在の父ですら代わりのロッキーがいるアドニスに観客が肩入れしなくなってしまうという恐れが製作サイドにあったのかもしれないが。

 俺が期待していたのは、お互いにとらわれている父を、自分と敵しかいないリング上での殴り合いによって、ある種の父殺しを果たし、その先に何があるのか、というものであった。極めてあっさりと映画ができている。おそらく作られるであろう第三作ではもっと濃厚なものを期待しております。

  それにしても、実力あるミュージシャンとはいえ、自分の大一番の入場時に歌う妻と共に入ってくるのは如何なものか。PRIDE1の入場時に高田延彦がリング下で安生洋二と抱き合うのを見て、「リングでは孤独なものだ、あれを見て勝ったと思った」というヒクソン・グレイシーの冷ややかな言葉を思い出してしまった。モスクワに夫妻祖母共々来ていたけれど、生まれたばかりの赤ん坊はどうしたのだろう。特に描写がなかったような。病院に預けたままなのだろうか。あれだけ障害が云々しておきながら、ずいぶん軽い扱いだ、そういうところも気になった。