不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

「これは日記ではない」

 イヤホンの話の続きを書くつもりが休日になったので書くものが日記となり間が空いてしまった。空いてしまったと書いたけれど、休日はいわゆる「日記」を書くというのは自分一人で勝手に定めたマイルールで、忘れたり日記とは名ばかりのひと言呟きだったりもしていたけれど、そうする事にした初心は忘れてしまったが、おそらくは本当はいつも日記を書きたかったが平日では「会社に行って、帰った」としか書けないので平日はその都度なにかを、休日は何かあるだろうから日記にしようと決めたのだろう。振り返ってみれば休日出勤が多いのでつまらん日記もたくさんあったし今後もあるだろうけど、「息抜きの合間に人生やってる」(by ゆうきまさみ『究極超人あ~る』。引用しておきながら書くのもなんだが、俺はゆうきまさみの漫画にほとんどハマらなくて、ギリギリ『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』を楽しんだけれど他のはいまいちピンと来ずに、それでも新作はちらほら読んでいる)から、休日こそ我が人生だとこのルールは今後も続けていく。

 本のタイトルで「××日記」と冠しているにもかかわらず、中身を見ると単なる日常エッセイ、時事コラムだったりすると、たとえ小さく日付が入っていたとしても、「これは日記ではない」と思う。日記とはあくまで「○月△日」の形式でなければならないのだ、日記原理主義。しかも、ここからはあくまで要望になるのだが、内容はその日に考えた事や思った事、また特筆すべき出来事だけでなく、日常や生活を書いてほしい。試しに日記で検索したら、《日々の出来事や行動を記録したもの》と出てきて(ブリタニカ国際大百科事典小項目事典)、事典の定義に必ず従えとは言わないけれど、やはり日々というものに着目して欲しいのだ。最近少なくなったが、日々を書いたブログが減ったように思う、寂しい限りだ。役に立たなくてもいい、どうでもいい内容でよい、誰かの日々を読みたい。それが俺の日記欲求なのである。昨年ついに買ったミシェル・レリス日記をパラパラ読むと、思考から夢日記から生活の事まで、混在して書かれている、日々、を書いた日記だ。