不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

最近読んだノンフィクション本

 ドニー・アイカー『死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』(河出書房新社、安原和見訳)。解説はご存知(なのかどうか、知名度はわからんのだが)佐藤健寿。読み終えてカバーを外すまで亜紀書房の海外ノンフィクションシリーズだと思っていたけど、出版社は河出書房新社だった。
 1959年、ソ連で起きた遭難事故。九名が亡くなり、テントは崩壊し、氷点下なのにみな衣服はろくに着けておらず、靴も履いていない。頭蓋骨骨折をしていた者がいれば、舌を喪失した者もいる、中には放射能を帯びていた者まで。一体全体、ここで何が起きたんだ……不自然で謎だらけの遭難事故の真相を探る一冊。日記や資料から事故前のトラッカーの動向、事故後の捜索班・捜査班の動きをつぶさに見ていき、それと現在の著者の取材と、三つの時間軸を並行させる入れ子構造で、じょじょに真相に迫っていく筆さばきが結構うまい。写真も豊富なのが嬉しい。
 何がおもしろいって、50年間飛び交った様々な仮説(自然現象、陰謀論、トンデモなどなど)を、著者が現地取材と徹底検証をした事によって次々に論破していき、最終報告書に「未知の不可抗力によって死亡」と書かれたこの事故が、時間と共に増えていく技術や知識によって未知が未知でなくなり解決されていく事である。つまりこの事故は現地も見ず、資料も確認しない、憶測や噂話だけをする言及者が増え、それによってどんどん複雑化・肥大化していったのだ(ソ連の社会体制も影響している)。信頼できる情報とは、真実とは何か。そもそも、本書の結論だって、あくまで可能性が高い仮説の一つであって、決して真実であるとは言い切れないはずだ。
 いまや現代は本であれ音楽であれ映画であれ情報であれ、何なら思考そのものも、「ネットにないものを探す/得る」事ができるかどうかが大事になっていくのだろうと思うが、まさにこれを体現したかのようなノンフィクションだった。ネットも世界だ、だけどあくまで一部でしかなく、俺たちの目の前こそが世界なのだ。

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

 上原善広『辺境の路地へ』(河出書房新社。言ってしまえばノンフィクション作家の零れ話を集めた一冊なのだが、何と言えばいいか、俺はたとえば「生きるとは」「人生の極意」みたいな本よりも、こういう文章に希望みたいなものを感じ取るのだ。あ、俺、生きていけるかも、生きていってもよさそうだな、と。
辺境の路地へ

辺境の路地へ