不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

Tシャツの人

 仕事で付き合いのあるデザイン事務所からTシャツをもらったのが何年前だったか忘れてしまった、少人数ながら実力があるその事務所が25周年を迎えた記念として作られたTシャツだった。白い布地に黒い文字で事務所名、歴代スタッフ名、「25th Anniversary」と書かれ、その下に代表者でもある一人のデザイナーがソファに寝っ転がっているイラストがシンプルな線で描かれている、何年前にもらったか忘れたと書いたが改めて柄を確認したら2008と隅っこに書かれていたので10年前のようだ。フリーサイズでゆったりしている上に、こう言ってはなんだが汚れても構わないものだからと普段着寝間着として、しかも余っていたのか何なのか二枚もらっていたので、このTシャツをしょっちゅう着ている、いまも着ている。
 デザイナーが亡くなったという知らせが数日前に届いた、俺はその方には一〜二回会った事がある程度で、10年前にはすでにセミリタイア、その後完全にリタイアして田舎に引っ込み悠々自適に暮らしていると聞いていた、知っているようで知らない、だけど知らないと言いきってしまうほどは遠くない、そんな人だった。
 その人の仕事は知っている、そして弟子と仕事をしている、そうやって彼のデザインが受け継がれていく事で、その人も生き続ける、まぁよくあるタイプの追悼文かもしれないが、やはりそう思う。デザインにおいては。その人と近くも遠くもなかった俺は、このTシャツを着るたびに、鏡で見るたびに思い出すだろう。存命の時は単なる柄だったのに、亡くなったら逆にデザイナーの存在を意識するようになった。故人がプリントされた柄を着る、思い出す、それを着て生活をする、これが俺なりの追悼なのだ、これが松尾スズキの言う「本当の供養は葬儀に参列して泣くことじゃない。その人との関係の記憶を自分の心の中の墓地のサイズにおさまるようデザインすること」になるのだろう、と思って、今日もこのTシャツを着て、寝る。