不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

最近読んだ本

 多和田葉子『地球にちりばめられて』(講談社。言語と身体、言語と祖国、言語とコミュニケーション、言語とアイデンティティ……言語=自分への問いかけをしつつ、母語の文法≒国家/システムから解き放たれれば自由に「自分」になれるのだ、境界線を超越し新たな地平に行く小説。タイトルに込められた思い、誰もが移民になり得るのだという現状認識、「新しい独自の言語」から伝わる率直な気持ち。半分過ぎあたりまではメチャクチャおもしろい、ぞくぞくするほどだったのだが、終盤が些か前のめりになって、もう少し違うところに行って欲しかったかな、とも思った。

「君は仏教徒なの?」
「違うわ。わたしは言語学者。」
「それって宗教だっけ?」
「違うけれど、でも言語は人間を幸せにしてくれるし、死の向こう側を見せてくれる。」

地球にちりばめられて

地球にちりばめられて

 大澤聡『教養主義リハビリテーション』(筑摩選書)鷲田清一竹内洋吉見俊哉との対談から教養の体系、教養とは読書であると見ていく。語られている話はそうねと思うけれど、温故知新である同時にやや昔はよかった的な話だなぁとも。あと本来の意味の反知性主義への視線はないのね。もっとも気になったのは「著者たちが『読んでほしい』と思う人達は、本書を手に取るのか」という点。これは本書に限らず、ある種の啓蒙書は全部そうで、読んでほしい人ほど手に取らない。ニヒリズムになってしまうが、しかし100投げて1しか返って来なくても、でもやるんだよ精神が必要なのだろう。「ここに真実がある」と言えば胡散臭く、「善」や「正義」を謳うのは傲慢で、しかしそういう強さ(面の厚さ)があるやつほど人の目につく。冷静なものほど埋もれ、誠実な人ほど後ろに行きがち。うまくいかん。でも続けるしかない。
教養主義のリハビリテーション (筑摩選書)

教養主義のリハビリテーション (筑摩選書)