不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

小さな灯の物語

 ハン・ガン『少年が来る』(クオン、井手俊作訳)。クオンの「新しい韓国の文学」シリーズは、『殺人者の記憶法』の次は『アオイガーデン』を読むつもりだったのだが、4月にソン・ガンホ主演の『タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜』(それにしても、だっせぇ副題だなぁ。いるか、これ)という光州事件を扱った映画が公開されるそうで、それを見る前に何となく同じ事件を扱った本書を先に手に取ってみた。
 読み始めたら狼狽えるほど重苦しい内容で、しかし読む手は止まらなかった。概要程度の知識しか知らない光州事件の犠牲者たちを描いた小説で、これほどの死と暴力を真正面から、しかし踏みにじられる花に添えられる透明な祈りとして捉えるのかと衝撃すら覚える。死の物語であり、死への物語であり、死者からの物語であり、過去と現在の物語であり、鎮魂の物語である。二人称を用いる事でこれが誰かへの語りになっている事や、死者が自分の体が腐っていくのを見て語る事など、自由で実験的な試みを存分にしており、それは想像や言葉を越える現実を、何とか想像や言葉で伝えようとする切実さなのだと、読んでいてよくわかる。
 歴史的な事件を生き残った者が語る「証言文学」としては、たとえばホロコーストを描いた『メダリオン』があるが(本書の場合は死者も語っているけど)、本書の方が強度がある。『メダリオン』は証言で、本書も取材はしているけれど、「現実を描いた小説(虚構)である」事を、著者が強く意識して書いているように感じた。
 光州事件は1980年に起きた。まだ40年弱しか経っていない。この経験があれば、韓国の人たちの胸の内に政府・国家・権力に対しての拒否・嫌悪感があってもおかしくなかろう。そのうえ、民族が分断されているのだから。本当に大変な国だよ……憐みのような言い方はまた彼らに失礼なのかもしれないけど。
 クオンのこの文学シリーズは、ちとお値段が張るし、装丁もそっけないものが多いんだけど、以前読んだ『殺人者の記憶法』でも本書でも、読み終わってから改めて表紙のイラストを見ると、グッと来るものがある。小さな、ろうそくの灯が揺れている。

少年が来る (新しい韓国の文学)

少年が来る (新しい韓国の文学)