不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

Dear 青春のエスペランサ

 金子達仁『プライド』(幻冬舎高田延彦榊原信行の出会いからPRIDE.1のvsヒクソン・グレイシーが行われるまでの舞台裏ノンフィクション。関係者からの証言たっぷりで、なかなかの読み応え。中でもヒクソンの長時間インタビューと、安生洋二の言葉がいい。ヒクソンの話は別途、本になるのだろうか。おもしろすぎる。本文とは打って変わって砕けまくった文章の「あとがき」も結構おもしろかった。《ノンフィクションに、現実の世界に、脇役なんかはいないんだな》は名言。ただ、全体として力の入った作品だけど、個人的には最後の文章にはピンと来なかったかな……。
 改めて振り返ってみると、MMA(≒真剣勝負)の「プロ」だったヒクソンと、どう転んだって「アマ」でしかなかった高田。たとえばルールを詰めに詰めるヒクソンと、「ルールを把握していなかった(からロープを掴んだ)」とあっさり言う高田との差は、歴然としたものだろう。それは高田の弱さ・甘さであると同時に魅力だったとも思う。Uインターからの高田の姿と奮闘からは悲劇性と喜劇性の両方を感じ取った。この二つは、例えば引退試合において、かつて「真剣勝負」を求めた田村が、そう言いながらオープンフィンガーグローブで顔面を殴る事を拒否しつつ、しかし反射的に放った左フックで高田がKOされる、という事からも見えてくるだろう。ドラマチックと言い換えてもいい。そういうレスラーだったのだ、高田は。
 俺の話になるのだが、PRIDE.1が開催された97年は、どっぷりプロレスにも格闘技にも浸かっていた高校生だった。当時は山奥の寮にいて、試合を映像で見たのが先か、それとも結果を先に知ったのか、その辺はよく覚えていない。ただ、高田が負けたからといって、特にショックは受けなかったと記憶している。「ああ、負けたのか」と残念に思ったのは確かだが、同時に「これからこういう試合(つまり総合格闘技)がどんどん見られるのか」という楽しみのようなものを感じていた。正直言って、高田延彦にはそれほどの期待を持っていなかったのだ。応援こそすれ思い入れはなかった。だから、彼がどれだけの覚悟と恐怖をもってリングに上がっていたのか。本書を読んで感じ入るものがあったし、この時点で35歳、以後も身体を酷使してリングに上がり続けた事を考えると、感謝の気持ちが芽生えた。おそらくこれが、最初で最後の、俺の高田への思いとなるのだろうな、なんて事を思った。

プライド

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