不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

最近読んだプロレス本二冊

 柳澤健『2011年の棚橋弘至中邑真輔』(文藝春秋。帯文通り二人のレスラーによる「プロレス再生の物語」。正確に言うなら「新日本プロレス」だけど。俺は一応は暗黒時代の新日も見続けてはいたので、ここで書かれている物語は「そうそう、そうだった」とお浚い的な読み方になった部分もあるが、さすがの筆さばきでおもしろく語られている。2000年代の新日を知る事ができるよい入門書かと。
 新日本プロレスを創ったアントニオ猪木を葬り去る事でしか新日は生き残れなかったという皮肉は、まことにプロレス的。棚橋がヒール的存在として爆発したという指摘は同感。俺の場合は外敵ヒールとして全日のチャンカンの出た時に、「こいつ、すげぇ!」と見る目を変えた。いろいろ興味深いエピソードが書かれていたが、個人的には棚橋の書く文章を初めて読んだので、これほど達者でクレバーなのかと驚いた。それだけでなくとも、その明晰さ、覚悟と献身っぷりがすごい。中邑は、素質はすごいと思うし、プロレス愛もよく伝わってくるんだけど、何でか好きになれないんだよな。WWEに行って初めて応援する気持ちになったけど。あと、アントニオ猪木がどんだけ面倒くさいのか、どんだけはた迷惑だったもよくわかった……。
 あくまで棚橋と中邑が中心なので、新日本プロレスの復活を彼ら二人が背負ったように読めるけれども、もちろん他のレスラーも戦っていて、たとえば2009-2010年は真壁刀義も結構新日を背負っていたよなーと思い出したりもした。どこかの大会で「これから新日の逆襲が始まるぞ!」と高らかに宣言していたのもその表れで、そういう意識のレスラーが新日を復活させたのだろう。

2011年の棚橋弘至と中邑真輔

2011年の棚橋弘至と中邑真輔

 村松友視『アリと猪木のものがたり』(河出書房新社柳澤健1976年のアントニオ猪木』、ジョシュ・グロス『アリ対猪木』、あるいは増田俊也木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』への先人・村松友視からの回答――ではなく、年老いてアリの死を受け止めた「プロレスの味方」が、己の郷愁と残像を書き残しておこうと届けられた忘れ物。先に名を挙げた本に比べて新たなファクトがあるわけでも、情念にあふれているわけでもないのだが、とにかく見事な、流れるような文章による語り口がすばらしい。””を多用する事で引っかかりをつくる細工もうまい。猪木、アリ、そして力道山の人物評伝としても読める。いささか猪木への憧憬やロマンが拭いきれず、猪木後のプロレスから見始めた俺には分からない感覚があったのも正直なところ。それでも最終章は1995年の「平和のための平壌国際スポーツ文化祭典」に同行したルポで、これがまた興味深い。これだけでも一読に値する。
アリと猪木のものがたり

アリと猪木のものがたり