不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

LOGAN/俺の爪痕を越えて行け


 過去と正しい事と善き事によって心身共に引き裂かれたとしても、それを受け入れる事でしか俺たちの昨日が誰かの明日にはならず、血に塗られた爪が泣いているように見えてしまう、これほど哀切極まりないアクション映画はそれほどないだろう。多様な人種と共にフロンティアを求め続けるアメリカの物語。そしてまた、フロンティアは決してユートピアではなく、あの少年少女たちはやはり誰かを傷つけ、誰かに傷つけながら生きていくしかないのではないかという思いを馳せてしまうのだが、それでもなお様々な意味での父ローガン(ヒュー・ジャックマン)の「もうおまえは戦わなくてもいいんだ、やつらの思い通りに生きる必要なんてない」という、ローガンが誰かに言って欲しかったであろう言葉が胸に残るのであった。
 「現実は物語ではない」と絶望するウルヴァリンが、自身の物語によって救済されて未来を紡ぐ。と同時に現代のアメコミ映画が古き善きアメリカの神話である西部劇をモチーフにして明日を紡いでいく。それは懐古ではなく国境線を意識する、純然たる現在の映画だった。いろいろな形の残酷さと、様々な優しさが込められた作品だったと思う。ローラ(ダフネ・キーン)が世界を興味深そうに見るように、これから生まれてくる子供たちがそのまま眩しく見つめられる世界には、まだなっていない。
 アメリカの良心の一つである『ピーナッツ』に、チャーリー・ブラウンが『シェーン』のラストシーンを見ながら「この映画を何回も見ているけど、一度もシェーンが戻ってきた事がないんだ」と嘯く回があるのだが、実はこのセリフにチャールズ・M・シュルツが込めた意味は、ものすごく深いのではないかと本作を見てから思った。