不発連合式バックドロップ

日記と余談です。

最近読んだ本

 栗原康『死してなお踊れ』(河出書房新社。踊り念仏・一遍上人の評伝。伊藤野枝伝ほど勢いはないが、相変わらずグル―ヴィな文体と一遍の生き方考え方がシンクロして、読んでいて心地いい。人は選ぶだろうが。一遍の考えや生き方をものすごく要約すれば、「自由でいよう」である。それが一番難しい。正直、七転八倒七転び八起きな中盤に比べると、それ以降はやや落ち着いちゃっているのでおもしろさは薄くなる。それでもやっている事はアナーキーなんだけど。それにしても、本編もさることながら前書き後書きがこれだけおもしろい著者はそうそういないだろうな。

死してなお踊れ: 一遍上人伝

死してなお踊れ: 一遍上人伝

 延江浩『愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』(講談社。副題の両家の繋がりとその周辺を軸に日本と時代を読み解く――という狙いで、膨大な人物とエピソードの羅列で外堀を埋めて本筋を浮き彫りにさせたかったのかもしれないけど、残念ながら視野がボケたまま、何が書きたいのかわからなかった。エピソードはどれもおもしろいし、著者の膨大な資料の読み込みや取材もしっかりしていると思うのだが、結局本筋はどこにあるんだろうとずっとモヤモヤしていた。そんな中、三島事件の章だけは異様な強度・輝度を放っていた。あの事件自体がそういう存在なのだろうな。
愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家

愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家

 近藤正高ビートたけし北野武』(講談社現代新書。「ビートたけしと彼が演じてきた昭和の事件当時者」から見る、たけし論兼戦後日本論。着眼点が独特でおもしろい。それだけに(著者も書いている通り)未消化で、もう一歩踏み込んで欲しかったな。まぁこの視点での最初の一歩ということで。